龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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(天誅)宇郷重国
2009-11-11 Wed 20:49
(天誅)宇郷重国

文久2年閏8月22日、九条家諸大夫・宇郷重国、和宮降嫁に奔走、川端通東一条下ル東側にて岡田以蔵、岡本八之助、村田忠三郎らにより斬殺、松原河原に梟首される。


二十二日夜、戌刻過ぎ頃、砂川御殿御用と叩き、急御用と申すに付き、門番潜り開き入れのところ、様子合見届けもなく、すぐさま部屋這入り候也。
悪党のもの五人、宇郷も門口にて「慈シヤ慈シヤ」と申す声にて門を明け入り来り候。
玄蕃頭、夕飯を認め、茶を呑み、火鉢の傍らに坐りおり候ところへ踏み込み、何人やらんと相尋ねのところ、何も言うにおよばず答え話もなく、額へ切り付け、その刀にてすぐさま腹へ突き込み候。
玄蕃も思わずも一間ばかり後じさり、床ふとんの上にて俯き、その場にて首を切り取り候。
玄関に掛けこれある鑓、よきものがあると申し、その鑓をはずし鞘を残し置き、右の鑓に首をさして帰り、松原河原へ持ち行き、建て置くよし也
(『京都岩倉実相院日記』)


昨二十二日五時分、玄蕃頭義は小児を愛しおり候。
折り柄、同刻頃、勝手入口の方より土足のまま帯刀人五人ほどに存じ、いずれも手拭にて鉢巻致し、伊賀袴を著し、抜き身を持ち、やにわに玄蕃頭前へ罷り越し候に付き、同人義、何事に候やと声懸け候ところ、右帯刀人のうち二人は玄蕃頭を理不尽に切り付け・・・
暫時いたしおり候うち、私押し伏せおり候帯刀人も手離し立ち出で候に付き、玄蕃頭身の上心もとなく存じ、寝所を立ち出で見請け候ところ、同人の首はこれなく、同骸ばかりにて、数ヶ所に疵付けこれあり・・・
(『宇郷重固妻加寿願書』)


この者、島田同腹にて、主家をして不義に陥入れしめ、実にその罪、彼よりも重し。
これにより天誅加えせしもの也。
  閏8月
(『東西評林』)


   首
一、天窓より後ろへ掛け、切り疵一ヶ所
       竪長さ五寸ほど 深さ二分ほど
一、左頬に同 一ヶ所
       竪八寸ほど 深さ二分ほど
一、天窓右の方、そぎ疵一ヶ所
一、眉間、切り疵一ヶ所
       竪三寸ほど 深さ四寸ほど
   体疵書
一、背左肩下、切り疵一ヶ所
       横長さ四寸ほど 深さ一寸ほど
一、同右肩下、同断
       横長さ五寸ほど 深さ一寸ほど
一、臍左の方、突き疵一ヶ所
       横長さ二寸五分ほど
一、同下の方、切り疵一ヶ所
       横長さ1三寸ほど 深さ二分ほど
一、左二の腕、同一ヶ所
       横長さ三寸ほど 深さ一寸ほど
(『幕末雑抄』)


宇郷玄蕃、京都松原に槍に貫き梟首。殺害下手人、堤松右衛門
(『五十嵐敬之手記』)


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宇郷重国
2009-11-06 Fri 18:40
宇郷重国

生:文政6年(1823)12月16日
没:文久2年(1862)閏8月22日
九条家諸大夫

略歴

文政6年、宇郷木工権頭重幸の子として生まれる。

天保2年、諸大夫に任命される。

石見守・大舎人頭・内蔵権助・伊豆守・玄蕃頭を歴任する。

安政年間、島田左近と親交を結び、和宮降嫁に奔走する。

文久2年公武合体に奔走し攘夷派に疎まれ京都川端通東一条下ル東側にて岡田以蔵、岡本八之助、村田忠三郎らにより斬殺、松原河原に梟首される。40歳


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松平輝充
2009-11-06 Fri 17:37
松平輝充

生:文政5年(1822)4月11日
没:文久2年(1862)閏8月2日
第8代高崎藩主
従五位下、右京亮

略歴

文政5年、第8代高富藩主・本庄道昌の5男として生まれる。

文政2年、第7代高崎藩主・松平輝徳の養嫡子として家督を継ぐ。

弘化3年、家督を養子・松平輝聴に譲り隠居する。

文久2年、死去。41歳

墓所:埼玉県新座市野火止の平林寺


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政事総裁職
2009-11-06 Fri 17:04
政事総裁職

文久2年、薩摩藩国父・島津久光の圧力で実施された文久の改革により新設された役職。

前福井藩主・松平慶永を大老職に任命せよとの勅旨であったが、親藩から大老職に任命された前例がなかった為に新たに設けられた。


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文久の改革
2009-11-06 Fri 16:33
文久の改革

文久2年に薩摩藩国父・島津久光および朝廷の公武合体派公卿らに主導されて出された勅使による圧力の下行われた人事・職制・諸制度の改革。

主な内容
・若年の将軍徳川家茂を補佐する役として一橋家当主・一橋慶喜を将軍後見職に、前福井藩主  ・松平慶永を大老に任命
・京都における尊王攘夷過激派の擡頭によって悪化した治安の取り締まり
・参勤交代制の緩和
・洋学研究の推進
・西洋式兵制の導入


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