おっす龍馬ぜよ。今年は文久3年、29歳になったぜよ。
5月16日、神戸に造る海軍塾設立の資金が不足している為、勝先生の使いで福井の松平慶永公に援助をお願いする為出立したぜよ。
福井では政事顧問の横井小楠さんを訪ね慶永公への面会を斡旋してもらったぜよ。
慶永公に謁して、
攘夷を実行することは我国の浮沈にかかわること。
神戸海軍所の設立を急ぎ人材を育成し海軍力をつければ外国からの侮りを防げること。
海運・貿易による巨利は魅力的で先行投資をする価値があること。
だから千両程貸して欲しいとお願いしたぜよ。
すると慶永公は快く貸してくれたぜよ。
その後数日間横井さんの寓居に滞在していた時、藩士の三岡八郎さんが訪ねてきて初めて面会したぜよ。
この三岡さんは福井藩の財政改革を成功させたなかなかの人物で、意気投合して共に酒を飲み、思わず土佐の国歌を披露したぜよ。
龍馬君我藩ニ来遊、小楠横井翁ノ客寓ヲ訪ハル。
余亦偶相会シ、共ニ与ニ時事ヲ討論シ、談数刻ニ及フ。
是レ余カ君ト相知ルノ初ニシテ、頗ル意気相投スルカ如シ。
爾後幣蘆ヘモ屢々駕ヲ抂ラレ、交情愈親密、互ニ心肝ヲ吐露ス。
一日薄酒共ニ酙ム。
君酒間君カ為ノ国歌ヲ高唱セラル、声調頗ル奇ナリ。
後幣藩ノ壮士輩、酒間常ニ国歌ヲ唱歌スルハ是ヲ濫觴トス。
(『由利公正氏覚書』)
昨夜忝奉存候。
然ば勝拝借高承り候処、諸生寮等迄大分広大之打立にて千両程奉願度念願と龍馬申出候。
(長谷部甚平・三岡八郎宛横井小楠書簡)