龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
住谷信順、大胡資敬宛書状
2008-08-03 Sun 14:32
尊札拝見見仕候。寒気之節益御安泰、長途無御罣御修行、珍重之御儀奉存候。扨仰被越御趣、何レ拝願之上御相談可申上奉存候。然ニ奴儀無拠要用ニ相掛居申候間、明後出足ニ而其御許迄参上可仕奉存候。誠ニ偏境之地、殊ニ山中御滞留故、御徒然奉察候。
  十一月十九日                              恐惶謹言
                                         坂本龍馬
  加藤於菟之介様
  菊池清兵衛様
       貴下



解説
「勅諚御回達之儀ニ付、天下之諸侯応ずるや否、探索之為」
(水戸藩従者「吉田健蔵日記」より)
西国遊説に出かけた水戸藩士・住谷寅之助(加藤於菟之介)、大胡聿蔵(菊池清兵衛)が11月17日に土佐藩領の立川関に到着、当時帰国していた坂本龍馬と奥宮猪惣次宛に書状を出して入国の周旋を求めた。
「十一月廿一日夕刻、高知へ飛脚ニ差出候人物帰り申候。撃剣家坂本氏より返書来る」
(同上)
と記されているのがこの書状である。


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坂本乙女宛書状−安政5年7月
2008-07-25 Fri 18:24
此状もつて行者ニ、せんの大廻の荷のやり所がしれん言ハれんぞよ。
此男のに物ぢやあきに、状が龍馬から来たけんどまちがつたと御いゝ可被下候。
先便差出し申候しよふ婦は皆々あり付申候よし、夫々に物も付申候よし、其荷は赤岡村元作と申候ものゝにて候。
此状もちて行くものニて御座候。
めしをたいてもらい候者ニて候。
誠ニよき者故よろしく御取成可被成下候。
大いそぎにて候故、御すいりよふ。
此節は○がなく候故いけなく相成申候。
私しかへりは今月の末より来初めにて候得共、御国へかへり候はひまどり可申と奉存候。
又、明日は千葉へ、常州より無念流の試合斗り申候。
今夜竹刀小手のつくらん故、いそがしく御状くは敷事かけ不申候。
 かしこ                                     坂本龍



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相良屋源之助宛書状−安政3年9月29日
2008-07-11 Fri 19:25
  二白、御家内へも宜敷御伝声可被下候、以上。
一筆啓上仕候。冷気次第に相増し候へ共、弥御安全可被成目出度奉存候。随而野生儀道中筋無異議江戸に着仕り、築地屋敷に罷存候。乍憚御休意被下度候。陳者出足の節は御懇念被下、又御見事成る御送物被下千万忝き次第に奉存候。早速御礼申上筈の処、失礼に打過ぎ候段、御仁免可被下候。定而御国下御静謐恐悦至極と奉存候。先者右御礼迄、早々如此に御座候。

                                        恐惶謹言
     九月二十九日                          坂本龍馬
      相良屋源之助様
             御左右



安政3年に剣術修行の為江戸へ向かう際、「御見事成る御送物」をしてくれた高知城下の豪商・相良屋源之助に宛てた礼状です。


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父坂本八平宛書状−嘉永6年9月23日
2008-06-19 Thu 16:10
一筆啓上仕候。秋気次第に相増候処、愈々御機嫌能可被成御座、目出度千万存奉候。次に私儀無異に相暮申候。御休心可被成下候。兄御許にアメリカ沙汰申上候に付、御覧可被成候。先は急用御座候に付、早書乱書御推覧可被成候。異国船御手宛の儀は先免ぜられ候が、来春は又人数に加はり可申奉存候。
                               恐惶謹言。
    9月23日                       龍
 尊父様御貴下
御状被下、難有次次第に奉存候。金子御送り被仰付、何よりの品に御座候。異国船処々に来り候由に候へば、軍も近き内と奉存候。其節は異国の首を打取り、帰国可仕候。かしく。


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平井かほ宛書状
2008-04-27 Sun 19:51
先づ〃〃御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、
 一、高マチ袴
 一、ブツサキ羽織
 一、宗十郎頭巾
外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。
   九月十三日                               坂本龍馬
    平井かほどの


解説
文久元年、坂本龍馬が初恋の女性といわれる平井かほ宛に書いた書状です。

平井かほ(加尾)は龍馬の友人の平井収二郎の妹で才色兼備の女性でした。
安政6年に山内容堂の妹・友姫が三条公睦に嫁いだ際、お付き役として京都に出て、在京の4年間は脱藩した志士の活動を助けました。

この書状は自分が脱藩し京都へ向かった暁には加尾に男装をさせて共に活動をしようと誘ったものと思われています。

加尾はこれに従い土産物の名目で出入りの呉服問屋から袴地と羽織地を購入して仕立て、大刀はこの書状の内容を伏せて兄に送ってもらい、小刀は懐剣でまかなって龍馬からの連絡を待っていたといわれています。


翌文久2年、龍馬が脱藩をすると加尾の兄・平井収二郎は必ず京都の加尾の元へ向かうものと思い、加尾が勤王活動を行うことを危惧して次の書状を送っています。

坂本龍馬、昨廿四日の夜亡命、定めて其地へ参り申べく、龍馬国を出る前日、其許の事につき相談に逢候事御座候。
たとへ龍馬よりいかなる事を相談致候とも決して承知不可致。
今其許は家にありて父母に従ふ身なれば、他人の為に人に使はれ候事出来不申候。
元より龍馬は人物なれども、書物を読まぬ故、時としては間違事も御座候へば、よくよく御心得あるべく候。
只々拙者も其許も報恩の節を失はず、忠孝の道に欠けさる様致され度候。
目出度かしこ。
  収二郎
 かほどの



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