龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
安政5年(1858)7月
2007-03-22 Thu 17:37
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年7月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

7月1日
中津藩主・奥平昌服、伊勢亀山藩主・石川総禄が参府により、小倉藩主・小笠原忠嘉が就封により登営する。

7月1日
水戸藩主・徳川慶篤が登営し、老中・太田資始に所司代・酒井忠義及び老中・間部詮勝の上京期日と京都の事情を質問する。

7月1日
津藩主・藤堂高猷が左大臣・近衛忠煕に書を送り、国防不備の為条約調印止むを得ずを陳情する。

7月1日
奥右筆組頭・志賀金八郎、本所林町の自宅にて自刃。

7月3日
福岡藩主・黒田斉溥が宇和島藩主・伊達宗城に書を送り長崎の近況を報告する。

7月4日
露国使節・プチャーチンが神奈川に上陸して江戸に入り、芝愛宕下・真福寺に館する。

7月4日
幕府が前水戸藩主・徳川斉昭、尾張藩主・徳川慶恕、福井藩主・松平慶永の処分を決す。

7月4日
薩摩藩主・島津斉彬が宇和島藩主・伊達宗城に書を送り時事を議す。

7月5日
大老・井伊直弼が不時登城をした尾張藩主・徳川慶恕、福井藩主・松平慶永に隠居謹慎、前水戸藩主・徳川斉昭に謹慎、一橋家当主・一橋慶喜に登城禁止を命じる。

7月5日
松平茂徳が尾張藩主に、松平茂昭が福井藩主に襲封する。

7月6日
第13代征夷大将軍・徳川家定、病没。(35歳)

7月6日
水戸藩主・徳川慶篤に登城禁止を命じる。

7月6日
若年寄・本郷泰固、側衆・石河政平を罷免し差控を命じられる。

7月6日
前内大臣・三条実万が薩摩藩主・島津斉彬に書を送り将軍継嗣に斡旋せし顛末を報告する。

7月6日
宇和島藩主・伊達宗城が前福井藩主・松平慶永に書を送り、隠居を惜み自重することを請う。

7月7日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が大坂に至り、同藩士・吉井幸輔を共に土浦藩士・大久保要を訪ねる。

7月8日
幕府が海防掛を廃し、外国奉行を新設し外国事務を管轄させ、田安家老・水野忠徳、勘定奉行・永井尚志、目付・岩瀬忠震を任命し、箱館奉行・堀利煕、下田奉行・井上清直に兼任を命じる。

7月8日
薩摩藩主・島津斉彬が天保山で大軍事調練を行う。

7月8日
高松藩主・松平頼胤、守山藩主・松平頼誠、府中藩主・松平頼縄が宗家水戸藩の藩政に関し協議する。

7月8日
福井藩士・近藤了介が同藩士・橋本左内に京都の情勢を報告する。

7月8日
英国使節・エルジンが上陸して江戸芝の西応寺に館する。

7月9日
老中・間部詮勝、所司代・酒井忠義が上京により登営する。

7月9日
高松藩主・松平頼胤、守山藩主・松平頼誠、府中藩主・松平頼縄が大老・井伊直弼を訪ねる。

7月9日
老中・太田資始、間部詮勝が露国使節・プチャーチンと協議する。

7月10日
権大納言・大炊御門家信を始め三条西季知、今城定章、庭田重胤、堀河康親、柳原光愛、大原重徳、持明院基政、愛宕通祐、三室戸陳光、藤波教忠、今出川実順、倉橋泰聡、武者小路実建、六条有容、長谷信篤、清水谷公正、櫛笥隆韶、錦織久隆、阿野公誠、滋野井実在、東園基敬、今城定国、河鰭公述、土御門晴雄、石山基文、慈光寺有仲、千種有文、植松雅言、山本実政、四条隆謌、姉小路公知、千種有任、西四辻公業、壬生基修、松木宗有ら36人が書を上り、元武家伝奏・東坊城聡長に関して浮説あるを審問することを請う。

7月10日
外国奉行・永井尚志、岩瀬忠震、長崎奉行・岡部長常が蘭国理事官・クルチウスと江戸において修好通商航海条約十箇条及貿易章程七款に調印する。

7月10日
九条家家士・島田左近が彦根藩士・長野主膳に書を送り京都の情勢を報告する。

7月10日
薩摩藩士・西郷吉兵衛、吉井幸輔が京都に至り、梁川星巌、春日潜庵を訪ねる。

7月11日
外国奉行・永井尚志、井上清直、堀利煕、岩瀬忠震、目付・津田正路が江戸に於て露国使節・プチャーチンと修好通商条約十七箇条及貿易章程六則に調印する。

7月11日
長州藩士・入江九一が江戸に向かう。
杉蔵を送る叙

7月12日
幕府が大目付・池田頼方、山口直信、勘定奉行・土岐朝昌、立田正明、目付・松平康正、津田正路、駒井朝温、野野山兼寛に外国事務の立合を命じる。

7月12日
露国使節・プチャーチンが江戸城に登り、征夷大将軍の名代世子・徳川慶福に謁す。

7月13日
高松藩主・松平頼胤、宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ね時事を議す。

7月14日
幕府が大老・井伊直弼に外国事務の総括を命じる。

7月14日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が京都にて処士・梁川星巌、頼三樹三郎、長州藩士・大楽源太郎等と会し時事を議す。

7月14日
福井藩士・橋本左内が同藩士・近藤了介に江戸の情勢を報告する。

7月15日
大老・井伊直弼が前内大臣・三条実万に書を送り、老中・間部詮勝、所司代・酒井忠義の上京を報告する。

7月16日
薩摩藩主・島津斉彬の遺命により弟・久光の子・茂久を養子とする。

7月16日
第11代薩摩藩主・島津斉彬、病没。(50歳)

7月16日
島津茂久が薩摩藩主に襲封する。

7月18日
外国奉行・水野忠徳、永井尚志、井上清直、堀利煕、岩瀬忠震、目付・津田正路が英国使節・エルジンと江戸に於て修好通商条約二十四箇条及貿易章程七款に調印する。

7月18日
宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ね時事を議す。

7月18日
長州藩士・高杉晋作が江戸に向かう。
高杉暢夫を送る叙
7月19日
薩摩藩士・日下部伊三次が京都に至る。

7月19日
薩摩藩家老・島津久福が藩主・島津斉彬の急死と茂久の家督相続を隠居の島津斉興に報告する。

7月19日
松代藩士・佐久間象山が時事に関する意見を処士・梁川星巌に告げ、京都の近情を問う。

7月20日
幕府が英国との条約締結を布告する。

7月20日
長州藩が藩士・吉田松陰に山鹿流軍学を教授する事を許可する。

7月20日
薩摩藩士・日下部伊三次が水戸藩邸にて藩士・鵜飼吉左衛門等と会す。

7月21日
征夷大将軍世子・徳川慶福が名を家茂と改名する。

7月21日
第10代大溝藩主・分部光寧、死去。(50歳)

7月22日
薩摩藩士・日下部伊三次が前内大臣・三条実万等を訪ね時務に関し勅諚を幕府に下すことを入説する。

7月23日
水戸藩主・徳川慶篤が父斉昭の謹慎宥釈の斡旋を高松・守山・常陸府中の三支藩主に依頼する。

7月26日
禁裏付・大久保忠寛が所司代・酒井忠義に京情を報じ、速な上京を請う。

7月26日
福岡藩主・黒田斉溥が宇和島藩主・伊達宗城に書を送り時事に関する意見を述べる。

7月26日
第10代生実藩主・森川俊位、死去。(18歳)

7月27日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が藩主・島津斉彬の訃報に接し、帰藩の上殉死しようとするが、清水寺成就院住職・月照に慰められ国事に尽くすことを決意する。

7月28日
篠山藩主・青山忠良、淀藩主・稲葉正邦、人吉藩主・相良頼基が参府により登営する。

7月29日
第4代新田藩主・上杉勝義、死去。(67歳)

7月
長州藩士・桂小五郎、大村益次郎が朝鮮国領「竹島」開墾の計画を幕府に建議する。

7月
土佐藩士・坂本龍馬が姉・乙女宛に書簡を出す。
龍馬の手紙


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安政5年(1858)6月
2007-03-20 Tue 17:24
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年6月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

6月1日
幕府が三家以下溜詰諸侯に将軍世子を定めるべきを告げる。

6月1日
明石藩主・松平慶憲、膳所藩主・本多康穣、米沢支藩新田藩主・上杉勝道が就封により、庄内藩世子・酒井忠恕が参府により登営する。

6月1日
一橋家当主・一橋慶喜が前水戸藩主・徳川斉昭を訪ねる。

6月4日
前内大臣・三条実万が大老・井伊直弼に書を送り大老就任を賀す。

6月5日
薩摩藩主・島津斉彬が左大臣・近衛忠熙に書を送り海外の事情を述べ条約調印止むを得ずを説く。

6月5日
京都町奉行・浅野長祚が小普請奉行に、浦賀奉行・小笠原長常が京都町奉行に、先手・坂井正輝が浦賀奉行に任命される。

6月7日
福井藩主・松平慶永が老中・堀田正睦訪ね、条約調印及び将軍継嗣に関し協議する。

6月9日
前水戸藩主・徳川斉昭が外交措置に関し、改めて質疑十四箇条を幕府に提出する。

6月9日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が薩摩に帰藩し藩主・島津斉彬に謁し時事意見を述べる。

6月10日
福井藩主・松平慶永が尾張藩主・徳川慶恕を訪ね、一橋慶喜を将軍継嗣に擁立することを説く。

6月11日
津藩主・藤堂高猷、鯖江藩主・間部詮勝、高田藩主・榊原政恒、大垣藩主・戸田氏彬、延岡藩主・内藤政義、島原藩主・松平忠精、浜松藩主・井上正直、新発田藩主・溝口直溥、大野藩主・土井利忠、高遠藩主・内藤頼寧、福知山藩主・朽木綱張、上ノ山藩主・松平信宝、高島藩主・諏訪忠誠、越前勝山藩主・小笠原長守、富山藩主・前田利声、結城藩主・水野勝進、神戸藩主・本多忠貫、天童藩主・織田信学、谷田部藩主・細川興貫、奥殿藩主・大給乗謨、湯長谷藩主・内藤政恒が参府により登営する。

6月11日
薩摩藩主・島津斉彬が左大臣・近衛忠熙に書を送り将軍継嗣等に関する幕府の情勢を報告する。

6月11日
薩摩藩主・島津斉彬が宇和島藩主・伊達宗城に書を送り時事を議す。

6月16日
宇和島藩主・伊達宗城、土佐藩主・山内豊信、福井藩主・松平慶永が会し将軍継嗣に関し密議する。

6月16日
宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ねる。

6月16日
議奏加勢・正親町三条実愛を罷め、権中納言・正親町実徳、参議・冷泉為理が議奏加勢に任命される。

6月16日
露国使節・プチャーチンが軍艦「パルラダ号」に乗じて下田に来航する。

6月16日
一橋家小姓・平岡円四郎が福井藩士・中根雪江を訪ね、水戸藩士が時勢に慨し、幕府の要路に対し、除奸の計画あるを告げる。

6月17日
米国総領事ハリスが書状を老中・堀田正睦に呈し、条約調印の急務を忠告する。

6月18日
下田奉行・井上清直、目付・岩瀬忠震が米国総領事・ハリスとの応接を命じられる。

6月18日
勘定奉行・永井尚志、下田奉行・井上清直、箱館奉行・堀利煕、目付・岩瀬忠震、津田正路が露国使節応接掛に任命される。

6月18日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が薩摩藩主・島津斉彬から福井藩主・松平慶永宛の書状を携え鹿児島を発す。

6月19日
大老・井伊直弼の命で下田奉行・井上清直、目付・岩瀬忠震が米国総領事・ハリスと米艦「ポータハン号」上で会し、無勅許で日米修好通商条約十四箇条・貿易章程七款を締結する。
日米修好通商条約締結

6月19日
福井藩主・松平慶永、宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ね米国との条約調印の真偽を質す。

6月20日
露国使節・プチャーチンが軍艦「パルラダ号」に乗じて下田より神奈川沖に来航する。

6月20日
第11代平戸藩主・松浦曜、死去。(47歳)

6月21日
勘定奉行・永井尚志、箱館奉行・堀利煕、目付・津田正路等が露艦に赴き、露国使節・プチャーチンと条約改訂に関し協議する。

6月21日
老中・堀田正睦、松平忠固、久世広周、内藤信親、脇坂安宅が連署して事情切迫につき已むを得ず、無勅許にて米国との条約調印をしたことを奏上する。

6月21日
庄内藩主・酒井忠発、松代藩主・真田幸教、福山藩主・阿部正教、白河藩主・阿部正耆、笠間藩主・牧野貞直、宮津藩主・本荘宗秀、棚倉藩主・松井康圭、松本藩主・戸田光則、岸和田藩主・岡部長寛、三春藩主・秋田憙季、今治藩主・久松勝道、横須賀藩主・西尾忠受、丹後田辺藩主・牧野誠成、福島藩主・板倉勝顕、村松藩主・堀直休、高取藩主・植村家保、刈谷藩主・土井利善・美作勝山藩主三浦朗次・府内藩主大給近説・長島藩主増山正修・田原藩主三宅康保、黒羽藩主・大関増徳、須坂藩主・堀直武、七日市藩主・前田利豁、麻生藩主・新庄直彪が就封により、津和野藩主・亀井茲監、与板藩主・井伊直充が参府により登営する。

6月21日
老中・堀田正睦、松平忠固が外交処置不行き届きとして罷免される。

6月21日
普請奉行・山口直信が大目付に任命される。

6月21日
高松藩主・松平頼胤、桑名藩主・松平猷、松江藩主・松平定安が新に京都警衛を、鳥取藩主・池田慶徳、岡山藩主・池田慶政、土佐藩主・山内豊信に大坂海岸警備を、柳河藩主・立花鑑寛に堺の警備を、長州藩主・毛利敬親に兵庫警備を、福井藩主・松平慶永に神奈川・横浜、二本松藩主・丹羽長富に富津各警備を命じられる。

6月22日
幕府が在府の諸侯に登営を命じ、米国との条約に調印せし顛末を報告する。

6月23日
老中・松平忠固が罷免され隠居・蟄居を命じられる。

6月23日
前掛川藩主・太田資始、鯖江藩主・間部詮勝、西尾藩主・松平乗全が老中に任命される。

6月23日
一橋家当主・一橋慶喜、田安家主、徳川慶頼が大老・井伊直弼を訪ね、無勅許での条約締結を詰問する。

6月23日
尾張藩付家老・成瀬正肥が条約破棄の意見書を藩主・徳川慶恕に上申する。

6月24日
福井藩主・松平慶永が井伊直弼邸を訪問し外交措置に対し抗議をする。

6月24日
前水戸藩主・徳川斉昭、尾張藩主・徳川慶恕、水戸藩主・徳川慶篤が不時登城をし、井伊直弼に直談判をする。

6月24日
福井藩士・橋本左内、目付・岩瀬忠震、土佐藩士・小南五郎右衛門らが将軍継嗣決定の内情に関し一橋慶喜擁立失敗の善後策を謀る。

6月24日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が福岡に至り、藩主・黒田長溥に謁す。

6月25日
征夷大将軍・徳川家定が、諸大名に総登城令を出し、将軍継嗣を紀伊藩主・徳川慶福とすることを公表する。

6月25日
大老・井伊直弼が前宇和島藩主・伊達宗紀に書を寄せて、前水戸藩主・徳川斉昭、尾張藩主・徳川慶恕等の不時登城の顛末を報告する。

6月25日
議奏加勢・正親町実徳、冷泉為理を罷め、正親町三条実愛が議奏加勢に任命される。

6月26日
京都所司代・本多忠民を罷め、小浜藩主・酒井忠義が任命される。

6月26日
老中・久世広周に外国事務掛に任命される。

6月27日
条約調印奏上の宿次奉書が京都に著し、叡聞に達する。

6月27日
大老・井伊直弼が関白・九条尚忠に書を送り米国条約に調印を了するの事情を陳ず。

6月27日
津藩主・藤堂高猷、二本松藩主・丹羽長富、岡山藩主・池田慶政、久留米藩主・有馬慶頼、宇和島藩主・伊達宗城、弘前藩主・津軽順承、土佐藩主・山内豊信、久保田藩主・佐竹義就が連署して条約調印の善後措置を講ずべきを幕府に建議する。

6月28日
孝明天皇が条約締結に震怒し譲位の密勅を関白に下す。

6月28日
九条家家士・島田左近が京都にて一橋家当主・一橋慶喜を将軍継嗣に擁立せんとする者の動静を大老・井伊直弼家士・長野主膳に報告する。

6月29日
福井藩主・松平慶永が将軍継嗣決定の事情を薩摩藩主・島津斉彬に報告する。

6月29日
大老・井伊直弼が前内大臣・三条実万に書を送り、条約調印に関し事情を陳弁する。

6月30日
宇和島藩主・伊達宗城が老中・久世広周を訪ね外国事務の為一局を設け福井藩主・松平慶永、薩摩藩主・島津斉彬をその総裁とすることを提議する。


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勤王立志の詩
2007-03-18 Sun 20:29
勤王立志の詩

周防国の勤王僧・月性が大坂へ旅立つ時に作成した詩。

将東遊題壁二首

二十七年雲水身
又尋師友向三津
児鳥反哺応無日
忍別北堂垂白親

男児立志出郷関 
学若無成不復還 
埋骨何期墳墓地 
人間到処有青山



將に東遊せんとして壁に題す二首

二十七年 雲水の身
師友を尋ねて 三身に向かう
児鳥反哺 まさに日無かるべし
別れるるに忍びんや 北堂垂白の親

男児志を立てて 郷関を出づ
学若し成る無くんば 復た還らず
骨を埋むるに何ぞ期せん 墳墓の地を
人間到る処に 青山有り



二十七歳となり、未だ修行の身である私は、
こうして師や友を訪ねて大坂に向かう。
今日まで勉学の為とはいえ、
白髪交じりとなった母に仕えることもなく、
他郷なばかりある自分を思うと不孝の罪を感じずにはいられない。
しかしながら、この非常の秋、壮士止め難く

男子が一旦志を立てて郷里を出るからには、
もし学業が成就しないなら再び帰らない決意である。
骨を埋めるのにどうして故郷の墓地に執着しようか。
世の中には、どこへ行っても骨を埋める青々とした墓地があるではないか。
そこに埋めてもらえれば充分である。


(財団法人 僧月性顕彰会より)

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安政5年(1858)5月
2007-03-18 Sun 15:55
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年5月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

5月
薩摩藩士・西郷吉兵衛が薩摩藩主・島津斉彬宛に井伊直弼が大老に就任し、一橋慶喜の将軍世子が不利になったことを報告する。

5月1日
水戸藩主・徳川慶篤、尾張藩主・徳川慶恕が条約調印に関する意見を幕府に答申する。

5月1日
権大納言・万里小路正房が武家伝奏に任命される。

5月1日
大老・井伊直弼が将軍継嗣を徳川慶福とする旨老中一同に申し渡す。

5月1日
久留米藩主・有馬慶頼、大田原藩主・大田原富清が参府により、荻野山中藩主・大久保教義が就封により登営する。

5月2日
老中・堀田正睦が米国総領事・ハリスと会し条約調印の期を7月27日と協約する。

5月2日
大老・井伊直弼が福井藩主・松平慶永を招き将軍継嗣に関し協議する。

5月2日
大納言・綾小路有長を罷む。

5月3日
福井藩主・松平慶永が老中・松平忠固を訪ね一橋慶喜を将軍継嗣に擁立することを説く。

5月3日
宇和島藩主・伊達宗城、土佐藩主・山内豊信が福井藩主・松平慶永を訪ね将軍継嗣に関し協議する。

5月3日
長州藩主・毛利敬親が条約調印に関し、幕府の諮問に答える。

5月5日
勘定奉行・川路聖謨が西の丸留守居役に左遷させられる。

5月6日
老中・堀田正睦が米国総領事・ハリスと会し、条約調印の速やかに行い難きを米国大統領・ピアースに告げる征夷大将軍・徳川家定の親書を交付する。

5月6日
大目付・土岐頼旨が大番頭に、勘定奉行・川路聖謨が西丸留守居に任命される。

5月6日
水野忠寛が沼津藩主に襲封する。

5月7日
米国総領事・ハリスが江戸を発して海路下田に還る。

5月8日
箱館奉行・堀利煕が外国奉行に任命される。

5月9日
水戸浪人・信太仁十郎、ハリスの襲撃を計るが探知され自首、伝馬町にて獄死。(33歳)

5月9日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が福井藩士・橋本左内の病気を見舞う。

5月10日
宇和島藩主・伊達宗城、土佐藩主・山内豊信が福井藩主・松平慶永を訪ね将軍継嗣に関し協議する。

5月10日
権大納言・中山忠能が議奏に任命される。

5月11日
津山藩主・松平慶倫、長州藩主毛利敬親、明石藩主・松平慶憲、柳河藩主・立花鑑寛、川越藩主・松平直侯、浜田藩主・松平武聡、大聖寺藩主・前田利鬯、新庄藩主・戸沢正実、大洲藩主・加藤泰祉、久居藩主・藤堂高聴、徳山藩主・毛利元蕃、三田藩主・九鬼精隆、水口藩主・加藤明軌、佐土原藩主・島津忠寛、日出藩主・木下俊程、苗木藩主・遠山友詳、鳥取支藩鹿奴藩主・池田仲建、岡山支藩鴨方藩主・池田政善、足守藩主・木下利恭、綾部藩主・九鬼隆都、豊岡藩主・京極高厚、森藩主・久留島通胤、岡田藩主・伊東長裕、山家藩主・谷衛滋、清末藩主・毛利元純、芝村藩主・織田長易、狭山藩主・北条氏燕、小野藩主・一柳末徳が帰藩を聴され登営する。

5月11日
長崎海軍伝習員・伊沢謹吾、望月大象、榎本武揚、中島三郎助らが幕府の帆船にて長崎を発し江戸へ向う。

5月11日
周防妙円寺住職・月性、病没。(42歳)

5月13日
関白・九条尚忠、左大臣・近衛忠熙、右大臣・鷹司輔熙、内大臣・一条忠香、前内大臣・三条実万等を召し時事に関する叡旨を示す。

5月13日
幕府が米沢藩主・上杉斉憲、、中村藩主・相馬充胤、宇和島藩主・伊達宗城、出石藩主・仙石久利、一ノ関藩主・田村邦行、赤穂藩主・森忠徳、佐伯藩主・毛利高泰、仁正寺藩主・市橋長和、鳥取支藩若桜藩主・池田清直、小松藩主・一柳頼紹、多度津藩主・京極高琢等に増上寺以下諸門の警衛を命じる。

5月13日
宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼、老中・堀田正睦を訪ね時事を議す。

5月14日
松代藩士・佐久間象山が幕臣・勝海舟に書を送り、外交措置の意見を求め、且つ邦人の海外視察の要を説く。

5月15日
岡山藩主・池田慶政、米沢藩主・上杉斉憲、広島藩主・浅野斉粛、弘前藩主・津軽順承、土佐藩主・山内豊信、川越藩主・松平直侯、柳河藩主・立花鑑寛、大溝藩主・分部光貞、浜田藩主・松平武聡、久保田藩主・佐竹義就、久留米藩主・有馬慶頼が連署して条約調印は止むを得ざるも富強の策を講じるべきを陳ず。

5月15日
桑名藩主・松平定猷、長岡藩主・牧野忠雅、西尾藩主・松平乗全が就封により、小浜藩主・酒井忠義が参府により登営する。

5月16日
仙台藩主・伊達慶邦が条約調印に関し幕府の諮問に答える。

5月17日
宇和島藩主・伊達宗城、土佐藩主・山内豊信、福井藩主・松平慶永が会し、前内大臣・三条実万の家士・富田織部から京都の状況を聞く。

5月17日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が江戸を発し帰藩の途に就く。

5月22日
宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ね時事を議す。

5月24日
徳川義宜、尾張藩主・徳川慶勝の3男として生まれる。

5月27日
土佐藩主・山内豊信が老中・堀田正睦を訪ね幕府の情勢を問う。

5月28日
福井藩主・松平慶永が老中・堀田正睦訪ねる。正睦、将軍継嗣を徳川慶福に決したことを告げる。

5月28日
薩摩藩主・島津斉彬が幕府の諮問に対し、富国強兵の英断あるべきを述べる。


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安政5年(1858)4月
2007-03-18 Sun 15:31
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年4月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

4月1日
金沢藩主・前田斉泰が就封により、同世子・慶寧が参府により登営する。

4月1日
蘭国理事官・クルチウスが江戸城に登城し、征夷大将軍・徳川家定に拝謁する。

4月3日
権大納言・中山忠能、大炊御門家信、広幡忠礼、権中納言・四辻公績、正親町三条実愛、正親町実徳、甘露寺愛長、三条西季知、醍醐忠順、参議八条隆祐、冷泉為理、日野資宗、庭田重胤、中院通富、橋本実麗、野宮定功が連署して幕府に京都の警備を大藩に下命することを請う。

4月3日
老中・堀田正睦が参内し、帰府の暇を賜る。

4月3日
薩摩藩主・島津斉彬が宇和島藩主・伊達宗城、福井藩主・松平慶永に書を送り将軍継嗣及び外交に関し意見を述べる。

4月3日
福井藩主松平慶永が尾張藩主・徳川慶恕を訪ね将軍継嗣に関する所見を諮問する。

4月5日
老中・堀田正睦、勘定奉行・川路聖謨等が京を発し帰府の途に就く。

4月6日
長州藩士・久坂玄瑞が江戸に至る。

4月7日
目付・岩瀬忠震が米国総領事・ハリスと会し、条約調印期日は老中・堀田正睦の帰府後更に協議すべきを告げる。

4月7日
肥後藩士・横井小楠が福井藩主・松平慶永の招きにより福井に至る。

4月9日
福井藩主・松平慶永が一橋家当主・一橋慶喜に書を送り、外交措置に関する幕府の諮問に対する硬論を慎み、自重せんことを忠告する。

4月11日
福井藩士・橋本左内が京都から帰府し藩主・松平慶永に京都の情勢を報告する。

4月12日
浅野慶熾が広島藩主に襲封する。

4月13日
蘭国理事官・クルチウスが老中・松平忠固を訪ね、条約改訂を要求する。

4月13日
彦根藩士・長野主膳が将軍継嗣に関する京都の情報を藩主・井伊直弼に報告する。

4月13日
薩摩藩家老・新納駿河が薩摩藩主・島津斉彬に外交意見書を上る。

4月15日
水口藩主・加藤明軌が参府により、丸岡藩主・有馬道純が就封により登営する。

4月15日
勘定奉行・永井尚志、長崎奉行・岡部長常等が、真福寺に於て蘭国理事官・クルチウスと会し、条約改訂に関し協議する。

4月15日
彦根藩士・長野主膳が将軍継嗣に関する京都の情報を藩主・井伊直弼に報告する。

4月16日
福井藩主・松平慶永が老中・松平忠固を訪ね一橋家当主・一橋慶喜を将軍継嗣に擁立することを説く。

4月19日
会津藩主・松平容保、米沢藩主・上杉斉憲、宇和島藩主・伊達宗城、臼杵藩主・稲葉観通、長門府中藩主・毛利元周、出石藩主・仙石久利、庭瀬藩主・板倉勝全、高鍋藩主・秋月種殷、本庄藩主・六郷政殷、佐伯藩主・毛利高泰、大溝藩主・分部光貞、広瀬藩主・松平直諒、仁正寺藩主・市橋長和、三日月藩主・森俊滋、新谷藩主・加藤泰理、多度津藩主・京極高琢、下手渡藩主・立花種温が参府により登営する。

4月20日
老中・堀田正睦、勘定奉行・川路聖謨等が江戸へ帰府する。

4月21日
老中・堀田正睦が登営し征夷大将軍・徳川家定に謁す。

4月21日
本多助実が飯山藩主に襲封する。

4月22日
柳河藩主・立花鑑寛が老中・堀田正睦に書を送り条約調印に関する所見を述べる。

4月23日
彦根藩主・井伊直弼が大老に任命される。

4月24日
老中・堀田正睦が米国総領事・ハリスと会し、条約調印の延期を議す。

4月26日
老中・堀田正睦が米国総領事・ハリスと会し、再び条約調印の延期を議す。

4月27日
老中・堀田正睦が米国総領事・ハリスと会し、三度条約調印の延期を議す。

4月27日
目付・岩瀬忠震が蘭国理事官・クルチウスと会し条約改訂を協議する。

4月27日
宇和島藩主・伊達宗城が大老・井伊直弼を訪ね外交措置及び将軍継嗣について談じ、直弼が老中・堀田正睦の罷免及び紀伊藩主・徳川慶福の将軍継嗣たるべきを告げる。

4月27日
福井藩主・松平慶永が老中・堀田正睦を訪ね一橋慶喜を将軍継嗣に擁立することを説く。

4月28日
岡山藩主・池田慶政、小松藩主・一柳頼紹が参府により、熊本藩世子・細川慶順が就封により登営する。

4月
久留米藩士・真木和泉が草した国体策、天命論、時事意見を前内大臣・三条実万に上表する。


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九条邸跡・捨翠亭
2007-03-17 Sat 22:33
九条邸跡・捨翠亭

九条邸跡・捨翠亭
九条邸跡・捨翠亭



安政5年に起きた廷臣八十八卿列参事件の舞台となった九条邸跡は京都御苑の南西にあります。
大半の建物は維新後に取り壊されましたが九条池と呼ばれる池と茶室の捨翠亭が残されています。

捨翠亭は江戸後期の建築で数奇屋風書院造となっています。
原則として毎週金・土曜日には公開されています。

九条邸跡

九条邸跡
九条邸跡


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安政5年(1858)3月
2007-03-08 Thu 14:19
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年3月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

3月
薩摩藩士・西郷吉兵衛が将軍御台所・篤姫から近衛忠熈宛の書簡を携え江戸を発す。

3月1日
参議・橋本実麗が外交に関する意見書を上る。

3月3日
鷹司家侍講・三国大学が福井藩士・中根雪江に将軍継嗣に関する京都の情勢を報じる。

3月4日
土佐藩主・山内豊信が福井藩主・松平慶永を訪ね、内大臣・三条実万の外交及び将軍継嗣に関する建議書案に関し協議する。

3月5日
武家伝奏・広橋光成、東坊城聡長、議奏・久我建通が本能寺に老中・堀田正睦を訪ねる。

3月5日
米国総領事・ハリスが幕府汽船「観光丸」に乗じて再び江戸に至り、蕃所調所に入る。

3月6日
熊本藩主・細川斉護が福井藩主・松平慶永からの申し出で藩士・横井小楠の招聘を許諾する。

3月7日
権大納言・中山忠能を議奏加勢に任命される。

3月7日
権大納言・中山忠能、権中納言・正親町三条実愛、正親町実徳、参議・八条隆祐、中院通富、橋本実麗、野宮定功が連署して条約調印に関し建白する。

3月8日
福井藩士・中根靱負、水戸藩士・安島帯刀が一橋家小姓・平岡円四郎邸に会し将軍継嗣に関し密議する。

3月8日
尾張藩農民・大原幽学、尊農思想の嫌疑で弾圧を受け、自刃。(62歳)

3月9日
関白・九条尚忠が外交を幕府に委任する勅裁案を上奏する。

3月9日
権中納言・正親町三条実愛が議奏加勢に任命される。

3月10日
蘭国理事官・クルチウスが江戸に至り、芝愛宕下の真福寺に入る。

3月11日
孝明天皇が九条尚忠の上奏を受け入れ外交は幕府に委任するすることを裁可する。

3月11日
松下村塾の塾生により建物の増築が完了する。

3月12日
権大納言・中山忠能、大炊御門家信、正親町三条実愛、前権中納言・五条為栄、今城定章、庭田重胤、前参議・堀河康親、正二位・舟橋在賢、左兵衛督・西洞院信堅、正三位・大原重徳、太宰大弐・町尻量輔、正三位・愛宕通祐、三室陳光、神祇大副・藤波教忠、正三位・豊岡随資、五辻高仲、持明院基政、右近衛権中将・今井出川実順、治部卿・倉橋泰聡、神祇権大副・吉田良煕、式部権大輔・清岡長煕、侍従・飛鳥井雅典、正三位・石井行光、桑原為政、岩倉具慶、久世通煕、沢為量、西四辻公恪、武者小路実建、六条有容、平松時言、左近衛権中将・花山院家理、従三位・交野時晃、長谷信篤、唐橋在光、堀川親賀、右近衛権中将・清水公正、櫛笥隆韶、鷲尾隆賢、中務大輔・錦織久隆、左近衛権中将・阿野公誠、滋野井実在、右近衛権少将・梅渓通善、左近衛権少将・東園基敬、右近衛権少将・今城定国、大膳権大夫・高松保実、侍従・武者小路公香、左近衛権少将・西大路隆意、侍従・河鰭公述、陰陽頭・土御門晴雄、右近衛権少将・三条西公允、左京権大夫・石川基文、右馬頭・慈光寺有仲、少納言・交野時万、左近衛権少将・千種有文、侍従・小倉輔季、難波宗礼、右京権大夫・愛宕通政、弾正少弼・植松雅言、少納言・舟橋康賢、東坊城夏長、侍従・岩倉具視、刑部大輔・堀河康隆、左馬頭・倉橋泰顕、右中弁・勧修寺顕彰、治部大輔・石野基祐、左京大夫・穂波経度、侍従・吉田良義、民部大輔・芝山弘豊、侍従・裏辻公愛、権右中弁・中御門経之、大夫・山本実政、四条隆謌、園基祥、持明院基和、梅渓通治、勧修寺経理、六条有義、葉室長邦、橋本実梁、姉小路公知、千種有任、大和権介・錦小路頼徳、大夫・西四辻公業、主水正・沢宣嘉、岩倉具綱ら八十八卿が連署して関白・九条尚忠に外国措置を幕府に委任する勅裁案に関し変改を迫る。
延臣八十八卿列参事件

3月12日
蘭国理事官・クルチウスが蕃所調所に米国総領事・ハリスを訪ねる。

3月13日
太宰師・有栖川宮熾仁親王が外交拒絶の意見を上る。

3月13日
米国総領事・ハリスが下田奉行・井上清直を訪ねる。

3月14日
侍従・岩倉具視が時務策「神州万歳策」を内奏する。

3月14日
福井藩士・橋本左内が宮・公卿間に遊説せし顛末及び京都の形勢を福井藩士・中根雪江に報告する。

3月15日
幕府練習艦「咸臨丸」が長崎から薩摩国山川港に入港、薩摩藩主・島津斉彬が乗艦し乗組員・勝海舟及び蘭国士官らと会す。

3月15日
尾張藩主・徳川慶恕が参府により、徳島藩主・蜂須賀斉裕、仙台藩主・伊達慶邦、盛岡藩主・南部利剛が就封により登営する。

3月16日
福井藩主松平慶永が尾張藩主・徳川慶恕を訪ね将軍継嗣に関する所見を諮問する。

3月17日
武家伝奏・東坊城聡長が重責に耐えられずに辞任する。

3月18日
福井藩主・松平慶永が鷹司家侍講・三国大学に書を送り一橋家当主・一橋慶喜の擁立に斡旋することを望む。

3月18日
幕臣、京都禁裏付・都築峰重、病死。(56歳)

3月19日
権大納言・中山忠能等に外交措置に関する勅裁案略を内示する。

3月20日
朝廷が延臣八十八卿の外交委任反対案を受入れ老中・堀田正睦に対し、条約勅許は諸大名の意見を聞いてからするよう指示する。

3月20日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が近衛忠熈から将軍御台所・篤姫宛の書状を携えて京都を発す。

3月21日
内大臣・三条実万を罷め、権大納言・一条忠香が内大臣に任命される。

3月21日
前内大臣・三条実万が土佐藩主・山内豊信に書を送り条約調印に対する朝旨を告げる。

3月21日
米国総領事・ハリスが応接掛・土岐頼旨を訪ねる。

3月22日
武家伝奏・広橋光成、議奏・万里小路正房、裏松恭光等が老中・堀田正睦の旅館を訪ねる。

3月22日
目付・鵜殿長鋭が軍艦操練及大船製造掛に任命される。

3月23日
朝廷、条約不許可の勅論を老中・堀田正睦に授ける。

3月24日
武家伝奏・広橋光成、議奏・久我建通、徳大寺公純が老中・堀田正睦の旅館を訪ねる。

3月25日
宇和島藩主・伊達宗城が前内大臣・三条実万に書を送り、老中・堀田正睦上京後の京都の事情を問う。

3月26日
武家伝奏・広橋光成、議奏・久我建通、坊城俊克が老中・堀田正睦の旅館を訪ねる。

3月29日
老中・堀田正睦が帰府の朝允を請う。


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安政5年(1858)2月
2007-03-07 Wed 22:45
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年2月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

2月1日
福井藩主・松平慶永が老中・松平忠固を訪ね朝旨より先に将軍継嗣を定めることを勧告する。

2月2日
参議・冷泉為理が議奏加勢に任命される。

2月5日
老中・堀田正睦が京都に至り本能寺を館とする。

2月6日
議奏加勢・冷泉為理を罷む。

2月7日
福井藩士・橋本左内が藩主・松平慶永から将軍継嗣で一橋慶喜擁立工作の命を受け上京する。

2月9日
老中・堀田正睦が参内し日米条約案を呈して朝旨を請う。

2月9日
福井藩士・橋本左内が密かに内大臣・三条実万に謁し海外情勢を述べる。

2月11日
武家伝奏・広橋光成、東坊城聡長、議奏・久我建通、万里小路正房、徳大寺公純が本能寺に老中・堀田正睦を訪ね外交に関し協議する。

2月13日
武家伝奏・広橋光成、東坊城聡長、議奏・万里小路正房が本能寺に老中・堀田正睦を訪ね外交に関し協議する。

2月15日
小田原藩主・大久保忠愨、烏山藩主・大久保忠美、館林藩主・秋元志朝、安中藩主・板倉勝殷、佐貫藩主・阿部正恒、佐野藩主・堀田正頌、一宮藩主・加納久宜、多古藩主・久松勝行、牛久藩主・山口弘敞、吹上藩主・有馬氏郁、大貫藩主・井上正兼が就封により登営する。

2月17日
日米修好通商条約案及び老中・堀田正睦等の陳情書を廷臣に回示する。

2月18日
老中・堀田正睦が二条城を検分する。

2月20日
権大納言・中山忠能が日米修好通商条約調印を拒絶する意見書を上る。

2月20日
勘定奉行・川路聖謨が青蓮院に詣で門主入道・尊融親王に謁す。

2月21日
朝議にて日米修好通商条約調印に関する勅裁は、諸侯の衆議に徴して定められるべきと決す。

2月22日
関白・九条尚忠以下が参朝し、前関白・鷹司政通が調印勅許の可なるを述べる。

2月23日
武家伝奏・広橋光成、東坊城聡長、議奏・久我建通、徳大寺公純等が老中・堀田正睦の旅館・本能寺を訪ね条約勅許は徳川三家以下諸侯の議に徴し後勅裁あるべきを諭す。

2月24日
権中納言・正親町三条実愛が外交に関する意見を上る。

2月24日
処士・梁川星巌が松代藩士・佐久間象山に書を送り京都の情勢を報告する。

2月25日
武家伝奏・広橋光成、東坊城聡長、議奏・万里小路正房、裏松恭光等が本能寺に老中・堀田正睦を訪ね京都の警衛等に関し協議する。

2月25日
参議・野宮定功が外交に関する意見を上る。

2月26日
彦根藩主・井伊直弼が家士・長野主膳に書を送り、紀州藩主・徳川慶福を将軍継嗣に為さんことに周旋させる。

2月28日
岡藩主・中川久昭、丸亀藩主・京極朗徹、秋月藩主・黒田長元、福江藩主・五島盛徳が就封により登営する。

2月28日
鷹司家侍講・三国大学が福井藩士・中根雪江に京都の情勢を報じ、挙国一致して国難に当るべきを述べる。

2月30日
薩摩藩士・西郷吉之助が将軍継嗣に関する幕府大奥の情勢を福井藩主・松平慶永に報告する。

2月
土佐藩参政・吉田東洋が施政大綱を草する。


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安政5年(1858)1月
2007-03-07 Wed 15:28
おっす龍馬ぜよ。今年で24歳になるぜよ。
今日は安政5年1月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

1月1日
権中納言・正親町実徳が議奏加勢に任命されるも即日罷む。

1月3日
薩摩藩主・島津斉彬が福井藩主・松平慶永に書を送り、一橋慶喜の将軍世子擁立工作に老中らの理解が得られたと自信を示す。

1月4日
下田奉行・井上清直、目付・岩瀬忠震が米国総領事・ハリスを訪ね条約調印に就いて朝允を奏請する事情を告げる。

1月4日
水戸農民・蓮田東三、米国総領事・ハリスの襲撃を計るが探知され自首、伝馬町にて獄死。(22歳)

1月5日
幕府が米国総領事・ハリスに朝廷の許可を得る為日米修好通商条約締結の2ヶ月延期を求める。

1月6日
薩摩藩主・島津斉彬が将軍継嗣に関する意見書を左大臣・近衛忠熙、内大臣・三条実万に提出する。

1月6日
参議・冷泉為理が参議加勢に任命される。

1月6日
第十一回日米条約改訂談判を開く。

1月6日
長州藩士・吉田松陰が『狂夫の言』を書き、藩主・毛利敬親に建言する。

1月7日
福井藩主・松平慶永、大目付・土岐頼旨、勘定奉行・川路聖謨、目付・岩瀬忠震等が将軍継嗣に関し協議する。

1月7日
参議加勢・冷泉為理を罷む。

1月8日
幕府が老中・堀田正睦を日米通商条約の勅許を奏請の為上京を命じる。

1月9日
幕府が勘定奉行・川路聖謨、目付・岩瀬忠震等に老中・堀田正睦の上京への随行を命じる。

1月10日
第十二回日米条約改訂談判を開く。

1月11日
彦根藩主・井伊直弼が藩士・長野主膳を江戸に派遣する。

1月12日
第十三回日米条約改訂談判を開く。

1月14日
米国総領事・ハリスが日米修好通商条約成案を提出する。

1月15日
老中・堀田正睦が上京の途に就くにあたり登営し、征夷大将軍・徳川家定に謁す。

1月16日
権中納言・正親町実徳が議奏加勢二任命されるも即日罷む。

1月17日
土佐藩士・吉田東洋が藩参政に復職する。

1月19日
長州藩士・吉田松陰が周防国僧・月性に書を送り萩にて時事を議すことを求める。

1月19日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が福井藩士・橋本左内に書を送り、将軍御台所・篤姫に働きかけ、一橋慶喜を将軍世子とする運動をし、篤姫の産んだ子を将軍世子にするつもりはないと宣言する。

1月20日
幕府が老中・堀田正睦の上京中、松平忠固に外国事務の取扱を命じる。

1月20日
目付・岩瀬忠震が上京の途に就く。

1月21日
老中・堀田正睦が上京の途に就く。

1月21日
五島盛徳が福江藩主に襲封する。

1月22日
勘定奉行・川路聖謨が上京の途に就く。

1月23日
尾張藩主・徳川慶恕が幕府の諮問に対し、外交措置は勅裁を仰ぎて決すべきを答申する。

1月24日
薩摩藩主・島津斉彬が幕府の諮問に対し、朝廷尊崇・貨幣制復旧・武備整頓等に関する意見十六箇条を建言する。

1月26日
松代藩士・佐久間象山が幕府の対外処置軟弱なるを憂い、密に書を処士・梁川星巌に寄せ国事に斡旋することを求める。

1月28日
鳥取藩主・池田慶徳が就封により登営する。

1月
土佐藩士・坂本龍馬が千葉定吉より「北辰一刀流長刀兵法目録」を授与される。
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安政4年(1857)12月
2007-03-06 Tue 23:11
おっす龍馬ぜよ。今年で23歳になるぜよ。
今日は安政4年12月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

12月2日
米国総領事・ハリスが老中・堀田正睦の邸を訪ねる。

12月4日
下田奉行・井上清直、目付・岩瀬忠震が米国総領事・ハリスと蕃所調所に会し、全権委任状を交換し、ハリスが修好通商条約十六箇条及貿易章程六則の草案を提出する。

12月5日
吉田松陰の妹・文が久坂玄瑞に嫁ぐ。

12月6日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が江戸に至る。

12月8日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が福井藩邸に橋本左内を訪ね、将軍継嗣に関する島津斉彬の書状を福井藩主・松平慶永に呈す。

12月11日
蕃所調所にて第一回日米条約改訂談判を開き、条約案第一条貿易仕法及公使駐紮の事を協議する。

12月12日
第二回日米条約改訂談判を開く。

12月13日
幕府が朝廷に日米通商条約を調印することを上奏する。

12月13日
福井藩士・橋本左内が薩摩藩士・西郷吉兵衛を訪ね一橋慶喜擁立に関し協議する。

12月14日
第三回日米条約改訂談判を開く。

12月15日
高取藩主・植村家保、沼田藩主・土岐頼之、久留里藩主・黒田直質、岩槻藩主・大岡忠恕、大多喜藩主・大河内正和、岡部藩主・安部信宝、伊勢崎藩主・酒井忠強が参府により登営する。

12月15日
前薩摩藩主・島津斉興が従三位に推叙される。

12月16日
彦根藩主・井伊直弼、長州藩主・毛利敬親が従四位上に、大聖寺藩主・前田利鬯、小倉藩主・小笠原忠嘉、松代藩主・真田幸教が四品に、津山藩主・松平慶倫が左近衛権中将に推叙任される。

12月16日
織田信成が柳本藩主に襲封する。

12月16日
第四回日米条約改訂談判を開く。

12月18日
第五回日米条約改訂談判を開く。

12月19日
幕府が勘定奉行・川路聖謨を朝鮮信使聘礼用掛に任命する。

12月19日
第六回日米条約改訂談判を開く。

12月21日
土佐藩主・山内豊信が藩士・吉田東洋の罪を赦し参政に任命する。

12月21日
第七回日米条約改訂談判を開く。

12月22日
普請奉行・河野通訓が作事奉行に任命される。

12月23日
第八回日米条約改訂談判を開く。

12月25日
第九回日米条約改訂談判を開く。

12月26日
老中・堀田正睦、松平忠固、脇坂安宅等が調練場を検分する。

12月26日
第十回日米条約改訂談判を開く。

12月27日
福井藩主・松平慶永が老中・堀田正睦を訪ね、一橋家当主・一橋慶喜を将軍継嗣にせんことを勧説する。

12月28日
町奉行・池田頼方が大目付に、大目付・伊沢政義が町奉行に、目付・岡部長常が長崎奉行に任命される。

12月29日
征夷大将軍・徳川家定が大廊下・溜詰・大広間席諸侯を召し、老中・堀田正睦をして貿易開始の止むを得ざる所を演説させ各意見を披陳させる。

12月29日
幕府が勘定奉行・川路聖謨、永井尚志等を水戸藩邸に遣わし藩主・徳川慶篤父子に条約改訂に関し陳述させる。

12月30日
征夷大将軍・徳川家定が譜代諸侯を召し、老中・堀田正睦をして貿易開始の止むを得ざる所を演説させ各意見を披陳させる。

12月30日
使番・神保正興、徒頭・都築峰暉が目付に任命される。

12月
箱館奉行・竹内保徳が亀田村に五稜郭の築造を開始する。


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安政4年(1857)11月
2007-03-06 Tue 12:58
おっす龍馬ぜよ。今年で23歳になるぜよ。
今日は安政4年11月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

11月1日
盛岡藩主・南部利剛、秋月藩主・黒田長元が参府により登営する。

11月1日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が薩摩を発す。

11月4日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が熊本で家老・長岡監物と会し、大久保正助を紹介する。

11月5日
長州藩士・吉田松陰が杉家の宅地内にある小屋を補修し松下村塾にあてる。

11月6日
大目付・土岐頼旨、勘定奉行・川路聖謨、目付・鵜殿長鋭、永井尚志、下田奉行・井上清直等が米国総領事・ハリスを訪ね貿易の要旨に関し質問する。

11月6日
金沢藩主・前田斉泰、薩摩藩主・島津斉彬、仙台藩主・伊達慶邦、熊本藩主・細川斉護、広島藩主・浅野斉粛、福岡藩主・黒田斉溥、長州藩主・毛利敬親、佐賀藩主・鍋島斉正、鳥取藩主・池田慶徳、福井藩主・松平慶永、岡山藩主・池田慶政、徳島藩主・蜂須賀斉裕、土佐藩主・山内豊信、久保田藩主・佐竹義尭、米沢藩主・上杉斉憲、津藩主・藤堂高猷、久留米藩主・有馬慶頼、盛岡藩主・南部利剛、対馬府中藩主・宗義和、柳河藩主・立花艦寛、二本松藩主・丹羽長富が連署して諮問に対し十年間在藩して富国強兵の策をもって内憂外患に備えるべきを建言する。

11月12日
老中・堀田正睦が徳島藩主・蜂須賀斉裕、鳥取藩主・池田慶徳を招き米国総領事・ハリスの要求に関し議す。

11月12日
長州藩士・入江九一が松下村塾に入門する。

11月12日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が下関の豪商・白石正一郎邸に宿泊する。

11月13日
参議・冷泉為理が議奏加勢に任命される。

11月15日
府内藩主・大給近説が参府により登営する。

11月15日
前水戸藩主・徳川斉昭が老中・堀田正睦に書を送り、大艦建造の必要を論じ自ら米国に赴いて交易せんことを提議する。

11月20日
堀直休が村松藩主に襲封する。

11月26日
福井藩主・松平慶永が幕府の諮問に対し自主外交・富国強兵の国策を答申する。

11月27日
大岡忠敬が西大平藩主に襲封する。

11月29日
薩摩藩士・有馬新七が文武振興・学制改革の意見書を藩主・島津斉彬に上申する。


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安政4年(1857)10月
2007-03-04 Sun 22:06
おっす龍馬ぜよ。今年で23歳になるぜよ。
今日は安政4年10月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

10月1日
宮津藩主・本荘宗秀、長島藩主・増山正修、足守藩主・木下利恭、清末藩主・毛利元純が参府により登営する。

10月1日
薩摩藩士・西郷吉兵衛が徒目付・鳥預・庭方兼務・江戸詰に任命される。

10月1日
薩摩藩士・大久保正助が徒目付に任命される。

10月2日
老中・堀田正睦、松平忠固、久世広周、若年寄・遠藤胤統、本多忠徳等が品川に到り軍艦「旭日丸」に試乗する。

10月2日
鳥居忠宝が壬生藩主に襲封する。

10月3日
坂本龍馬が鍛冶橋の土佐藩邸にて行われた安政諸流試合に参加する。
龍馬のブログ

10月5日
第6代大平藩主・大岡忠愛、死去。(50歳)

10月7日
米国総領事・ハリスが下田を発し、陸路上府の途に就く。

10月14日
米国総領事・ハリスが江戸に至り、蕃所調所に入る。

10月15日
長州藩主・毛利敬親、福岡藩世子・黒田慶賛、松代藩主・真田幸教、丸亀藩主・京極朗徹、黒羽藩主・大関増徳が参府により登営する。

10月16日
福井藩主・松平慶永、徳島藩主・蜂須賀斉裕が連署して一橋家当主・一橋慶喜の将軍推挙意見書を提出する。

10月18日
米国総領事・ハリスが老中・堀田正睦の邸を訪ねる。

10月21日
米国総領事・ハリスが江戸城に登城し征夷大将軍・徳川家定に米国大統領・ピアースの信任状を提出する。

10月22日
岡山藩主・池田慶政が幕府に同藩警備の大房崎台場の備砲を西洋式に換えることを請う。

10月26日
米国総領事・ハリスが老中・堀田正睦と会談、貿易による国力強化を勧告する。


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