龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
安政6年(1859)10月
2007-10-21 Sun 12:28
おっす龍馬ぜよ。今年で25歳になるぜよ。
今日は安政6年10月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

10月1日
加賀金沢藩主・前田斉泰、膳所藩主・本多康穣、秋月藩主・黒田長元が参府により
加賀金沢藩世子・前田慶寧が就封により登営する。

10月4日
前内大臣・三条実万の病篤きを以って慎みを解き積年の功労を賞して従一位に推叙する。

10月5日
長岡藩士・河井継之助が長崎に至る。

10月6日
公家、内大臣・三条実万、安政の大獄に連座し幽居地の一乗寺村にて病死。(58歳)

10月6日
公家、権大納言・東坊城夏長、死去。(24歳)

10月7日 大覚寺門跡家士・六物空万が遠島に、青蓮院宮家士・伊丹蔵人、三条家諸大夫・
丹羽正庸、森寺常邦、鷹司家家士・三国大学、一条家諸大夫・入江則賢が中追放に
三条家諸大夫・森寺常安、御蔵小舎人・山科正恒、久我家諸大夫・春日仲嚢が永押込に
青蓮院宮家士・山田時章、有栖川宮家士・飯田左馬、鷹司家諸大夫・高橋俊、三条家
家士・富田織部、下田奉行手付出役・大沼又三郎、医師・飯泉春堂が押込に、絵師・
宇喜多一澆所払に、一条家諸大夫・若松永福が洛中洛外構江戸払に処せられる。

10月7日
福井藩士・橋本左内、安政の大獄で捕えられ伝馬町獄舎にて斬首。(26歳)

10月7日
処士・頼三樹三郎、安政の大獄で捕えられ伝馬町獄舎にて斬首。(35歳)

10月7日
三条家家士・飯泉喜内、安政の大獄で捕えられ伝馬町獄舎にて斬首。(55歳)

10月11日
幕府が前土佐藩主・山内豊信に謹慎を命じる。

10月11日
米国弁理公使・ハリスが登営し、征夷大将軍・徳川家茂に拝謁する。

10月15日
佐賀藩主・鍋島斉正、盛岡藩主・南部利剛が参府により登営する。

10月18日
公家、左近衛権中将・西四辻公恪没。(48歳)

10月19日
大番頭・土岐頼旨を罷め、隠居・差控を命じる。

10月19日
水戸藩士・勝野豊作、勅書降下に尽力、安政の大獄により逃走中病死。(51歳)

10月22日
公家、前権大納言・万里小路正房、死去。(58歳)

10月23日
内藤政敏が湯長谷藩主に襲封する。

10月26日
長州藩士・吉田松陰が「留魂録」を作る。

10月27日
元若年寄・本郷泰固、寄合・石河政平に減禄・隠居・慎を命じる。

10月27日
宇和島藩士・吉見長左衛門が重追放に、儒者・藤森恭助、農民・黒沢新助妻登幾が
中追放に、元高松藩士・長谷川宗右衛門、其男・速水、姫路藩士・菅野狷介、土浦藩士
・大久保要、薩摩藩士大山綱良、亀岡藩士・奥平小太郎が永押込に、水戸藩士・大竹
儀兵衛、麾下士岡部豊常家士・筧承三等を各押込に、処士・世古恪太郎が江戸構紀伊領
所払に処せられる。

10月27日
長州藩士・吉田松陰、伝馬町獄舎にて斬首。(30歳)

10月28日
小姓組番頭・秋山正光が山田奉行に、軍艦奉行兼勘定奉行・水野忠徳が西丸留守居に
普請奉行・加藤則著が駿府町奉行に、小普請組支配・竹本正雅が外国奉行に任命される。

10月29日
水戸藩士・山国喜八郎、海保帆平、加藤木賞三が各永押込に、三木源八、荻信之介
菊池為三郎が押込に処せられ、土佐藩士・小南五郎右衛門、三河吉田藩士・横山湖山
鯖江藩士・大郷巻蔵等が処罰される。

10月29日
吉田松陰の遺骸が小塚原の回向院下屋敷の常行庵に葬られる。




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松平忠固
2007-10-19 Fri 13:26
松平忠固

生:文化9年(1812)7月11日
没:安政6年(1859)9月14日
第6代上田藩主・老中
従四位下、侍従、伊賀守

略歴

文化12年、姫路藩主・酒井忠実の次男として生まれる。

文政12年、上田藩主・松平忠学の養子となる。

文政13年、家督を継ぐ。

天保5年、奏者番に任命される。

天保9年、寺社奉行に任命される。

天保14年、寺社奉行を更迭される。

弘化元年、寺社奉行に再任する。

弘化2年、大坂城代に任命され、従四位に叙任される。

嘉永元年、老中を命じられ侍従に任命される。

安政2年、老中を更迭される。

安政4年、老中に再任する。

安政5年、老中を更迭され隠居する。

安政6年、死去。48歳

墓所:東京都港区虎ノ門3丁目の天徳寺
のち東京都府中市多磨町の多磨霊園に改葬される。




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蜂須賀斉昌
2007-10-19 Fri 12:37
蜂須賀斉昌

生:寛政7年(1795)7月10日
没:安政6年(1859)9月13日
第12代徳島藩主
従四位下、阿波守、侍従

略歴

寛政7年、第11代徳島藩主・蜂須賀治昭の次男として生まれる。

文化10年、家督を継ぐ。

天保14年、養嗣子の蜂須賀斉裕(第11代将軍・徳川家斉の第22子)に家督を譲る。
(将軍の実子が外様大名の養嗣子となった唯一の例です)

安政6年、死去。65歳

墓所:徳島県徳島市の万年山




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梅田雲浜先生旧蹟
2007-10-19 Fri 12:19
梅田雲浜先生旧蹟

(京都)梅田雲浜奮蹟地跡


嘉永5年、小浜藩士の梅田雲浜が藩主に提出した海防策の意見書が藩政批判とされ
士籍を剥奪され、一乗寺葉山にある葉山観音堂の堂守小屋に隠れ住みました。

所在地:京都市左京区一乗寺葉山町(葉山観音内)





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梅田雲浜墓
2007-10-17 Wed 23:50
梅田雲浜墓

(安祥院)梅田雲浜墓


京都市東山区五条通東大路東入遊行前町560の安祥院にあります。

この墓は姪の登美子が雲浜の元服時の前髪を埋葬したものです。
墓碑正面には世を憚り姓を刻んでいません。





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梅田雲浜墓
2007-10-17 Wed 01:24
梅田雲浜墓

梅田雲浜墓


東京都台東区松が谷3-3-3の海禅寺にあります。




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梅田雲浜
2007-10-17 Wed 01:04
梅田雲浜

生:文化12年(1815)6月7日
没:安政6年(1859)9月14日
小浜藩士
正四位

略歴

文化12年、小浜藩藩士・矢部義比の次男として生まれる。

文政5年、藩校順造館に入る。

天保元年、江戸に出て、藩儒・山口菅山から山崎闇斎学を学ぶ。

天保12年、大津で上原立斎に学び、娘信子と結婚し湖南塾を開く。

天保14年、京都で望楠軒の講主になる。

嘉永5年、藩主・酒井忠義への建言が怒りに触れ士籍を剥奪される。

嘉永5年8月、京都一乗寺村の葉山観音堂の堂守小屋に隠れ住む。

嘉永6年、米艦隊来航に際し江戸に向かい同志と協議をする。

安政元年9月、露艦隊が大阪湾に現れると十津川郷士を率いて出立する際に
「妻は病床に臥し児は飢えに叫ぶ 身を挺して直ちに戎夷に当たらんと欲す
 今朝死別と生別と 唯皇天后土の知る有り」
「大廈支えんと欲するも力微奈留をいかんせん この間説く可けんや小是非
 賎臣国に効す区々の意 憤激行に臨みて帝闈を拝す」
の詩を残す。

安政2年3月、妻・信子が病死する。29歳

安政2年6月、勤王家・村島内蔵進が娘・千代を後妻にと媒介する。

安政3年、長男・繁太郎が病死する。5歳

安政5年、条約不可、一橋慶喜を将軍継嗣とすることに尽力する。

安政5年8月、戌午の密勅が水戸藩に下る。
(青連院宮に提出した意見書が参考になったといわれている)

安政5年9月、京都烏丸の寓居にて伏見奉行の手により捕えられる。

安政6年、幽囚先の小倉藩主・小笠原忠嘉邸にて病死。45歳

辞世
君が代をおもふ心の一筋に 我が身ありとも思はざりけり

墓所
東京都台東区の海禅寺
京都市東山区の安祥院
京都市東山区の京都霊山護国神社
福井県小浜市の松源寺






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島津斉興
2007-10-15 Mon 13:06
島津斉興

生:寛政3年(1791)11月6日
没:安政6年(1859)9月12日
第10代薩摩藩主
従三位、大隅守、参議

略歴

寛政3年、第9代薩摩藩主・島津斉宣の長男として生まれる。

文化元年、元服し従四位下、侍従兼豊後守に任命される。

文化6年、家督を継ぐ。

文政元年、従四位上、左近衛権中将に任命される。

天保2年、正四位下に叙任される。

天保4年、祖父・島津重豪の死去により藩政の実権を握る。

天保9年、参議に任命される。

天保12年、正四位上に叙任される。

嘉永2年、お由羅騒動が勃発する。

嘉永4年、老中・阿部正弘の調停により隠居し、斉彬が後を継ぐ。

安政5年、斉彬の急死により再び藩政の実権を握り、西郷隆盛を始めとする斉彬派の家臣を粛清する。
従三位に叙任される。

安政6年、死去。69歳

墓所:鹿児島市池之上町の島津家墓地(福昌寺跡)




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安政6年(1859)9月
2007-10-15 Mon 12:24
おっす龍馬ぜよ。今年で25歳になるぜよ。
今日は安政6年9月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

9月1日
尾張藩主・徳川茂徳が権中納言に任命される。

9月1日
仙台藩主・伊達慶邦、岸和田藩主・岡部長寛が参府により、淀藩主・稲葉正邦、
谷田部藩主・細川興貫が就封により登営する。

9月1日
前水戸藩主・徳川斉昭が江戸を発して水戸に帰る。

9月1日
西園寺家諸大夫、藤井尚弼、安政の大獄で捕らえられ江戸小倉藩邸にて病死。(35歳)

9月2日
公家、権中納言・堀河康親、死去。(63歳)

9月3日
水戸藩士・関鉄之介、薩摩藩士・高崎猪太郎が江戸を発す。

9月6日
堀田正倫が佐倉藩主に襲封する。

9月9日
前内大臣・醍醐輝弘、死去。

9月10日
勘定奉行・大沢秉哲が一橋家家老に、長崎奉行・荒尾成允が小普請奉行に、山田奉行・
渡辺孝綱が外国奉行に、小普請組支配・小笠原長儀が浦賀奉行に、先手・水野忠全が
京都町奉行に、目付・松平康正が勘定奉行に、木村喜毅が軍艦奉行並に、使番・溝口
勝如が目付に任命される。

9月10日
駿府町奉行・鵜殿長鋭、精姫用人並・黒川嘉兵衛、書物奉行・平山敬忠、小十人・
平岡円四郎、外国奉行支配調役・高須鉄次郎を罷め差控を命じ、長鋭に隠居を命じる。

9月10日
松平忠礼が上田藩主に襲封する。

9月12日
使番・小栗忠順が目付に任命される。

9月12日
第10代薩摩藩主・島津斉興、死去。(69歳)

9月13日
外国奉行兼神奈川奉行・新見正興、勘定奉行兼箱館奉行兼外国奉行兼神奈川奉行・
村垣範正、目付・小栗忠順を日米修好通商条約本書交換の為米国への派遣を決定する。

9月13日
第12代徳島藩主・蜂須賀斉昌、死去。

9月14日
小浜藩士・梅田雲浜、安政の大獄で捕えられ江戸小倉藩邸にて幽閉中病死。(45歳)

9月14日
第6代上田藩主、老中・松平忠固、死去。(49歳)

9月15日
長島藩主・増山正修が参府により、水口藩主・加藤明軌、大田原藩主・大田原富清が
就封により登営する。

9月17日 水戸藩士・関鉄之介、薩摩藩士・高崎猪太郎が京都に至り義挙の趣旨書を
青蓮院門主入道・朝彦親王、前左大臣・近衛忠熙に呈する。

9月20日
坂本龍馬が徳弘孝蔵に正式入門する。

9月22日
桑名藩主・松平猷、死去。(26歳)

9月27日
幕府が水戸藩附家老・中山信宝の差控を免除する。

9月28日
幕府が近衛家老女・津崎矩子の押込を免除する。

9月30日
幕府が水戸藩主・徳川慶篤の差控を免除する。




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