龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
安政7年(1860)3月
2007-12-21 Fri 17:45
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年3月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

3月1日
元水戸藩士・金子孫二郎、関鉄之介、木村権之衛門、斎藤監物、稲田重蔵、佐藤鉄三郎、薩摩藩士・有村雄助等が会し、大老・井伊直弼要撃の日時及び部署を定める。

3月2日
元水戸藩士・関鉄之介、斎藤監物、木村権之衛門、野村彝之介、佐野竹之介、広岡子之次郎、稲田重蔵、森山繁之介、鯉淵要人、蓮田市五郎、黒沢忠三郎、山口辰之介、岡部三十郎、海後磋磯之介、森五六郎、大関和七郎、杉山弥一郎、広木松之介、佐藤鉄三郎が 酒樓・「相模屋」に会し、訣別の宴を張る。

3月3日
薩摩藩士・有村雄助、有村次左衛門が水戸藩浪士と共に事を挙げんとし、江戸藩邸に書を送り脱藩する。

3月3日
元水戸藩士・関鉄之介、稲田重蔵、山口辰之介、鯉淵要人、広岡子之次郎、黒沢忠三郎、佐野竹之介、斎藤監物、蓮田市五郎、森五六郎、森山繁之介、大関和七郎、海後磋磯之介、杉山弥一郎、岡部三十郎、広木松之介、増子金八、元薩摩藩士・有村次左衛門等が桜田門外に於て大老・井伊直弼の登営の行列を襲い首級を挙げる。(桜田門外の変)

3月3日
幕府が彦根藩に命じて藩主・井伊直弼の横死を秘させる。

3月3日
元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎、元薩摩藩士・有村雄助が大老・井伊直弼襲撃を見届け直ちに江戸を脱し京都へ向う。

3月3日
元水戸藩士・黒沢忠三郎、蓮田市五郎、斎藤監物、佐野竹之介が大老襲撃後、老中・脇坂安宅邸に自首する。

3月3日
元水戸藩士・大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、海後磋繁之介が大老襲撃後、熊本藩邸に自首する。

3月3日
幕府が元水戸藩士・大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介、黒沢忠三郎、蓮田市五郎、斎藤監物、佐野竹之介を熊本藩に御預とする。

3月3日
幕府が町奉行・勘定奉行・目付に水戸藩邸の監視を命じる。

3月3日
彦根藩主、大老・井伊直弼、桜田門外の変にて暗殺される。(46歳)

3月3日
彦根藩士・河西忠左衛門、桜田門外の変にて闘死。(30歳)

3月3日
彦根藩士・小河原秀之丞、桜田門外の変にて闘死。(30歳)

3月3日
彦根藩士・沢村車六、桜田門外の変にて闘死。

3月3日
彦根藩士・永田太郎兵衛、桜田門外の変にて闘死。

3月3日
彦根藩士・加田九郎太、桜田門外の変にて闘死。(31歳)

3月3日
彦根藩士・岩崎徳之進、桜田門外の変にて負傷、帰邸後死亡。

3月3日
彦根藩士・越石源次郎、桜田門外の変にて負傷、帰邸後死亡。

3月3日
元水戸藩士・稲田重蔵、桜田門外の変にて闘死。(47歳)

3月3日
元水戸藩士・広岡子之次郎、桜田門外の変にて負傷、和田倉門前にて自刃。(21歳)

3月3日
元水戸藩士・山口辰之介、桜田門外の変にて重傷を負い八代州河岸にて自刃。(29歳)

3月3日
元水戸神官・鯉淵要人、桜田門外の変にて重傷を負い八代州河岸にて自刃。(51歳)

3月3日
元水戸藩士・佐野竹之介、桜田門外にて重傷を負い脇坂邸にて死去。(21歳)

3月3日
元薩摩藩士・有村次左衛門、桜田門外にて重傷を負い辰口にて自刃。(23歳)

3月4日
幕府が老中・松平乗全、若年寄・遠藤胤統、寺社奉行・本荘宗秀、大目付・久貝正典、町奉行・池田頼方、勘定奉行・山口直光、目付・ 駒井朝温を桜田事変の吟味掛に任命する。

3月4日
彦根藩が御預中の桜田事変関係浪士の引渡を幕府に請う。

3月5日
幕府が元水戸藩士・大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介、黒沢忠三郎を評定所にて審問する。

3月5日
元水戸藩士・関鉄之助が京都に向かう。

3月6日
元水戸藩士・高橋多一郎、高橋庄左衛門、黒沢栄蔵、小室治作、大貫多介らが朝廷工作の為大坂の元笠間藩士・島男也宅に入る。

3月7日
幕府が再び元水戸藩士・大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介、黒沢忠三郎、蓮田市五郎を評定所にて審問する。

3月8日
京都所司代・酒井忠義が大老・井伊直弼遭難の状を奏聞する。

3月8日
熊本藩に付預中の元水戸藩士・大関和七郎、黒沢忠三郎を富山藩に、蓮田市五郎を膳所藩に、森五六郎を臼杵藩に、杉山弥一郎を村松藩に、森山繁之介を一ノ関藩御預とする。

3月8日
水戸藩神官・斎藤監物、桜田門外にて重傷、脇坂邸へ斬奸状を提出しのち死亡。(39歳)

3月9日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順等が米国・サンフランシスコに到着する。

3月9日
元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎、元薩摩藩士・有村雄助が四日市駅に於て薩摩藩士・坂口勇右衛門らにより捕縛される。

3月10日
幕府が会津藩主・松平容保に参府を命じる。

3月11日
尾張・徳川茂徳、紀伊藩主・徳川茂承が不時登城し、征夷大将軍・徳川家茂に拝謁する。

3月12日
幕府が元水戸藩士・杉山弥一郎、蓮田市五郎、宮田瀬兵衛を評定所にて審問する。

3月13日
薩摩藩主・島津茂久が居城を廃して参府の途に就く。

3月13日
元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎、元薩摩藩士・有村雄助が伏見に護送される。

3月15日
金沢藩主・前田斉泰。津山藩主・松平慶倫、明石藩主・松平慶憲、徳島藩世子・蜂須賀茂韶、津藩主・藤堂高猷、大聖寺藩主・前田利鬯、日出藩主・木下俊程が登営する。

3月15日
伏見奉行・林忠行が元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎を拘束する。

3月16日
伏見奉行・林忠行が元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎を訊問する。

3月18日
安政から万延へ改元する。

3月19日
幕府が元水戸藩士・大関和七郎、森五六郎、宮田瀬兵衛等を評定所にて審問する。

3月20日
長州藩士・高杉晋作が藩命により明倫館舎長に任命される。

3月22日
水戸藩家・老尾崎豊後が老中・内藤信親を訪ね、藩情を陳情し勅書返納の猶予を請う。

3月23日
元水戸藩士・高橋庄左衛門、桜田門外の変に参画、幕吏に囲まれ、大坂四天王寺境内の小川欣司兵衛宅にて自刃。(19歳)

3月23日
元水戸藩士・高橋多一郎、桜田門外の変に参画、幕吏に囲まれ、大坂四天王寺境内の小川欣司兵衛宅にて自刃。(47歳)

3月24日
元薩摩藩士・有村雄助、桜田門外の変に参画、藩庁の命により奈良原繁の介錯にて切腹。(28歳)

3月24日
元水戸藩士・川崎孫四郎、桜田門外の変にて連絡係を担い捕吏に探知され大坂の生國魂神社境内にて自刃。(35歳)

3月29日
近藤勇が松井八十五郎の長女・ツネと結婚する。

3月30日
大老・井伊直弼を罷む。

3月30日
幕府が水戸藩主・徳川慶篤の登城を禁止する。




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内藤正縄
2007-12-21 Fri 17:02
内藤正縄

生:寛政7年(1795)
没:安政7年(1860)2月25日
第6代岩村田藩主
従五位下、豊後守

略歴

寛政7年、唐津藩主・水野忠光の3男として生まれる。

享和3年、先代藩主内藤正国の甥にあたることから、養子に迎えられ家督を継ぐ。

天保9年、伏見奉行に任命される。

安政7年、死去。65歳




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本多正寛
2007-12-21 Fri 16:30
本多正寛

生:文化5年(1808)5月9日
没:安政7年(1860)2月17日
第6代田中藩主
従五位下・豊前守

略歴

文化5年、第5代田中藩主・本多正意の長男として生まれる。

文政8年、従五位下・豊前守に任命される。

文政12年、家督を継ぐ。

天保2年、財政改革を中心とした藩政改革を行う。

天保7年、奏者番に任命される。

天保8年、藩校・日和館を創設する。

天保14年、大砲の鋳造を行う。

安政7年、死去。53歳

墓所:東京都台東区西浅草にある徳本寺




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安政7・万延元年(1860)2月
2007-12-19 Wed 17:25
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年2月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

2月1日
水戸藩小性頭取・坂場熊吉、原田八兵衛が勅書返納に関する藩命を承けて帰藩の途次、長岡駅に於て屯集市民により抑留される。

2月3日
前水戸藩主・徳川斉昭が元家老・大場一真斎、小性頭取・三浦贇男等を長岡駅に遣し、屯集士民を慰諭して小性頭取・坂場熊吉等の抑留を解かせる。

2月4日
水戸藩弘道館総裁・会沢正志斎が書を藩庁に上り、速に勅書を返納すべきを陳べる。

2月5日
蘭国商船船長・デッケル、横浜にて暗殺される。

2月5日
蘭国商船船長・デ=ヴォス、横浜にて暗殺される。

2月6日
水戸藩家老・白井久胤、杉浦羔次郎、若年寄・岡田新太郎等が、勅書返納の猶予を幕府に請う為水戸を発す。

2月7日
杉家が吉田松陰百日祭を行い団子岩墓地に前髪を葬る。

2月9日
水戸藩主・徳川慶篤が家老・興津蔵人、側用人・飯田総蔵を老中・安藤信睦に遣し、勅書返納が困難である事情を陳べる。

2月9日
長崎奉行・岡部長常、目付・都築峰暉が長崎に於て蘭国理事官・クルチウスと日蘭修好通商航海条約の本書交換をする。

2月12日
神奈川駐在蘭国副領事・ファン・ポルスブルックが同国船長殺害犯人の検挙・処刑と損害賠償を幕府に要求する。

2月14日
遣米使節・新見正興等が、ハワイ・ホノルルに寄港する。

2月16日
水戸藩弘道館総裁・会沢正志斎が再び勅書返納の断行を藩庁に建言する。

2月17日
第6代田中藩主・本多正寛、死去。(53歳)

2月18日
米使節・新見正興等が、ハワイ国王・カメハメハ四世に拝謁する。

2月18日
老中・脇坂安宅、安藤信睦が英国特派全権公使・オールコックと会し、長崎居留地の貸渡・馬匹売渡・居留外国人の保護及葡国条約の締結等に関し協議する。

2月18日
水戸藩士・金子孫二郎、金子勇二郎、稲田重蔵、飯村誠介、佐藤鉄三郎が脱藩し江戸へ向う。

2月19日
水戸藩家老・太田誠左衛門、鳥居瀬兵衛等重臣が会して長岡駅屯集士民の処分を協議する。

2月20日
長岡駅屯集の水戸藩士民が勅書返納の不可及び同志屯集の趣旨を藩庁に陳情し自ら解散する。

2月20日
水戸藩士・高橋多一郎が藩庁に勅書返納の不可を陳じ、息子・庄左衛門等と共に脱藩し江戸へ向う。

2月21日
薩摩藩士・大久保一蔵が藩兵を京都に派遣して急変に処すべきを藩庁に建議する。

2月21日
前水戸藩主・徳川斉昭が家老に藩兵を派遣して長岡駅屯集士民を鎮撫を命じる。

2月21日
ハワイ国政府が遣米使節・新見正興等に修交条約の締結を求める。

2月23日
水戸藩が勅書返納を決心する。

2月23日
皇妹和宮が参議・橋本実麗邸より桂御所に移住する。

2月24日
水戸藩家老・肥田大助が勅書返納の不可を前藩主・徳川斉昭に上陳し、元家老・大場一真斎、弘道館訓導・原市之進の内争鎮撫に関する意見書を提出する。

2月24日
水戸藩士・斎藤留次郎、勅書返納に憤り城内大広間廊下にて自刃。(31歳)

2月25日
元水戸藩士・金子孫二郎が江戸に至る。

2月25日
岩村田藩主・内藤正縄、死去。

2月26日
元水戸藩士・金子孫二郎が薩摩藩士・有村雄介の寓居に潜伏し、密に除奸及び上京挙兵に関し密議する。

2月26日
軍艦奉行・木村喜毅等の搭乗する「咸臨丸」が米国・サンフランシスコに到着する。

2月26日
英国特派全権公使・オールコックが開港場における清国人取締の為、条約未済国人の上陸禁止の公布を求める。

2月27日
遣米使節・新見正興等がハワイ・ホノルルを出港する。




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安政7・万延元年(1860)1月
2007-12-19 Wed 16:54
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年1月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

1月3日
加藤高明、尾張藩士・服部重文の子として尾張に生まれる。

1月9日
若年寄・安藤信睦が水戸藩邸に至り、勅書返納を督促する。

1月10日
水戸藩家老・杉浦羔次郎、側用人・久木直次郎等が、勅書返納の事に関して上府を命じられる。

1月13日
遣米使節護衛艦「咸臨丸」に軍艦奉行・木村喜毅、軍艦操練所教授方頭取・勝海舟、同教授方・佐佐倉桐太郎、小野広胖、肥田浜五郎、松岡盤吉、同手伝・赤松大三郎、通弁・中浜万次郎等が乗船し渡米の為品川を出港する。

1月15日
若年寄・安藤信正が老中に、奏者番・堀之敏が若年寄に、苗木藩主・遠山友詳、大番頭・堀田正誠が奏者番に、書院番頭・大岡清謙が 講武所奉行に任命される。

1月15日
水戸藩主・徳川慶篤が登営し、老中・安藤信睦が本月25日を期して勅書を返納すべきを命じる。

1月15日
英国公使館通弁・小林伝吉、高輪泉岳寺門前町にて浪士により斬殺される。

1月16日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順が登営し、征夷大将軍・徳川家茂に拝謁し親書・全権委任状等拝領する。

1月18日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順、勘定組頭・森田岡太郎、外国奉行支配組頭・成瀬善四郎、外国奉行支配調役・塚原昌義、 徒目付・日高圭三郎、刑部鉄太郎、外国奉行支配定役・吉田佐五右衛門、松本三之丞、普請役・益頭俊次郎、辻芳五郎、通詞・名村五八郎、 立石得十郎、小人目付・栗島彦八郎、塩沢彦次郎、寄合医師・宮崎立元、御番医・村山伯元、佐賀藩医・川崎道民、通詞見習・立石斧次郎等が米艦「ポーハタン号」に搭乗して品川を発す。

1月19日
幕府軍艦「咸臨丸」が浦賀港を発し米国に向う。

1月19日
水戸藩士・木村権之衛門等が江戸に至り、薩摩藩士・有村雄助、田中直之進等と会し、両藩の同志結盟・斬奸義挙のことを協議する。

1月25日
在藩の水戸藩家老、藩士等が長岡駅に屯集し、勅書返納を妨害する事情を在府家老に報告し、藩主・徳川慶篤の指揮を請う。

1月27日
水戸藩士・木村権之衛門、佐野竹之介、黒沢忠三郎が江戸に至り、薩摩藩士・有村雄助等と斬奸義挙の事を密議する。

1月28日
老中・安藤信正が水戸藩家老・尾崎豊後、興津蔵人等を召し、勅書返納を督促する。

1月29日
水戸藩小性頭取・原田八兵衛、坂場熊吉が勅書返納の命を承けて帰藩する。




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大久保要
2007-12-19 Wed 16:22
大久保要

生:寛政10年(1798)
没:安政6年(1859)12月13日
土浦藩公用人
従四位

略歴

寛政10年、大久保親修の子として生まれる。

文政元年、中小姓として出仕し江戸表平山潜らに兵学を学ぶ。

文政10年、帰藩し馬廻役・目付役・町奉行を歴任する。

天保8年、藩校郁文館の兵学教授を勤める。

嘉永3年、藩主に従い大坂へ公用人として赴任し天保山砲台の築造等重責を果たす。

安政5年、将軍継嗣問題、密勅降下運動などに参画する。

安政6年、安政の大獄により捕えられ永押込に処せられ、土浦藩の獄舎にて病死。62歳

墓所:茨城県土浦市真鍋町にある善応寺




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六物空満
2007-12-18 Tue 22:14
六物空満

生:享和元年(1801)
没:安政6年(1859)11月
大覚寺家臣
正五位

略歴

享和元年、森新吾の次男として生まれる。

嘉永6年、米艦隊来航の際に朝旨を体して掃攘の祈願をする。

安政○年、月照、村岡たからと結んで公家・志士間を出入りする。

安政5年、安政の大獄により捕えられ江戸へ護送される。

安政6年、みだりに御祈祷を奉修したことにより遠島に処せられたが出発前に病死。59歳

墓所:京都府京都市東山区にある霊山護国神社
墓所:東京都荒川区にある回向院




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安政6年(1859)12月
2007-12-18 Tue 21:56
おっす龍馬ぜよ。今年で25歳になるぜよ。
今日は安政6年12月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

12月1日
紀伊藩主・徳川茂承が権中納言に任命される。

12月7日
青蓮院門主入道・尊融親王に退隠・永蟄居を命じる。

12月13日
土浦藩公用人・大久保要、安政の大獄で捕えられ土浦の獄舎に幽閉中病死。(62歳)

12月15日
彦根藩主・井伊直弼が正四位上に叙任される。

12月15日
普請奉行・戸田氏著が一橋家家老に、寄合・松平康英が外国奉行兼神奈川奉行に任命される。

12月15日
沼田藩主・土岐頼之、久留里藩主・黒田直和、壬生藩主・鳥居忠宝、岩槻藩主・大岡忠恕、飯野藩主・保科正益、小見川藩主・内田正徳、生実藩主・森川俊徳が参府により登営する。

12月16日
仙台藩主・伊達慶邦が正四位下に、長州藩主・毛利敬親、佐賀藩主・鍋島斉正が左近衛権中将に叙任される。

12月18日
松平忠淳が島原藩主に襲封する。

12月21日 英国総領事・オールコックが老中・脇坂安宅を訪ね、英・米・蘭・露・仏以外の諸国とも条約を締結すべきを勧説する。

12月22日
幕府が水戸藩に前年8月付の勅諚を返納せよとの朝廷の意向を伝える。

12月24日
老中・間部詮勝を罷む。

12月26日
軍艦操練所教授方頭取・勝義邦、教授方・小野広胖、肥田浜五郎、手伝・赤松大三郎らに渡米を命じる。

12月27日
大久保忠礼が小田原藩主に襲封する。

12月28日
入道・鷹司政通、近衛忠煕の謹慎を解く。

12月28日
田中藩世子・本多正訥が参府により登営する。

12月29日
議奏・加勢正親町三条実愛を罷む。

12月30日
権大納言・正親町実徳が議奏加勢に任命される。




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大久保忠愨
2007-12-18 Tue 18:54
大久保忠愨

生:文政12年(1829)4月18日
没:安政6年(1859)11月30日
第8代小田原藩主
従五位下

略歴

文政12年、第7代小田原藩主・大久保忠真の長男・大久保忠脩の長男として生まれる。

天保2年、父・忠脩の死去に伴い嫡子となる。

天保8年、家督を継ぐ。

天保11年、従五位下加賀守に叙任される。

嘉永3年、伊豆韮山代官・江川太郎左衛門に台場と大砲の建造を委託する。

嘉永5年、小田原に大地震が発生、領内の復興に努め、3ヵ年の藩政改革を断行する。

安政3年、改革の5ヵ年延長を決める。

安政6年、死去。31歳

墓所:東京都世田谷区にある教学院




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市橋長富
2007-12-18 Tue 18:34
市橋長富

生:文化2年(1805)2月22日
没:安政6年(1859)11月20日
第9代仁正寺藩主
従五位下

略歴

文化2年、第7代庄内藩主・酒井忠徳の4男として生まれる。

文政5年、家督を継ぐ。

天保15年、養嗣子の市橋長和に家督を譲って隠居する。

安政6年、死去。55歳

墓所:東京都荒川区西日暮里にある南泉寺




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小林良典墓
2007-12-18 Tue 18:08
小林良典墓

小林良典墓


東京都荒川区南千住5-33-13にある小塚原回向院にあります。



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小林良典墓
2007-12-18 Tue 17:59
小林良典墓

小林良典墓


東京都世田谷区若林の松陰神社にあります。



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小林良典墓
2007-12-18 Tue 17:51
小林良典墓

小林良典墓


京都府京都市東山区清閑寺霊山町1にある霊山護国神社にあります。



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小林良典墓
2007-12-18 Tue 17:24
小林良典墓



小林良典墓




京都府京都市左京区田中下柳町34-1にある長徳寺にあります。




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小林良典
2007-12-18 Tue 17:03
小林良典

生:文化5年(1808)3月28日
没:安政6年(1859)11月19日
鷹司家諸大夫・民部権大輔
正四位

略歴

文化5年、鷹司家諸大夫・小林元次の長男として生まれる。

安政初め、青蓮院宮尊融法親王、三条実万、橋本左内らと交わり国事を議する。

安政5年、前関白・鷹司政通を説いて攘夷派に転向させ、又一橋慶喜擁立に奔走する。

安政5年9月、安政の大獄により捕えられ江戸へ護送される。

安政6年8月、水戸・福井両藩の京都入説を斡旋した罪により遠島後改め人吉藩永預に処せられる。

安政6年11月、配所へ送られる前に獄中にて病没。52歳

墓所:京都府京都市左京区にある長徳寺
墓所:京都府京都市東山区にある霊山護国神社
墓所:東京都世田谷区にある松陰神社
墓所:東京都荒川区にある回向院




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宇喜田一
2007-12-16 Sun 16:47
宇喜田一

生:寛政7年(1795)
没:安政6年(1859)11月14日
画家
従四位

略歴

寛政7年、宇喜多博文の子として生まれる。

嘉永6年、江戸にて滞在、米艦が浦賀に入ると「神風夷艦を覆すの図」を描いて与え時勢を風刺する。

安政元年、皇居造営に際して「列女伝周宣姜」を西対屋に描き、公武合体を風刺して婚怪草紙を作る。

安政5年、安政の大獄で捕えられ江戸へ護送される。

安政6年、所払いの刑により出獄して京都に戻るが獄中で得た病により死去。65歳

墓所
京都府京都市上京区にある華光寺




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安政6年(1859)11月
2007-12-15 Sat 17:03
おっす龍馬ぜよ。今年で25歳になるぜよ。
今日は安政6年11月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

11月4日
外国奉行・渡辺孝綱を罷め、作事奉行・関行篤が京都町奉行に、小普請奉行・井上清直が軍艦奉行に、京都町奉行・水野忠全が作事奉行に、佐渡奉行・内藤忠辰が小普請奉行に任命される。

11月4日
幕府が元水戸藩士・鮎沢伊太夫、元鷹司家諸大夫・小林良典の遠島を止め、伊太夫を佐伯藩に良典を人吉藩に終身禁錮に処す。

11月5日
薩摩藩士・大久保一蔵、岩下方平、有馬新七、吉井友実、海江田信義ら精忠組四十九名が幕府の専断を憤り脱藩して義挙を決行せんとするが、藩主・島津茂久が論書を下し軽挙を戒める。

11月10日
外国奉行・竹本正雅が神奈川奉行に任命される。

11月12日
水戸藩が藩士・高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介に蟄居を命じ、野村彝之介、矢野長九郎、大胡聿蔵等を小普請組に左遷する。

11月13日
長州藩士・桂小五郎が有備館御用掛に任命される。

11月14日
画家・宇喜田一漾安政の大獄で捕らえられ所払い中病死。(65歳)

11月15日
参議・橋本実麗が議奏加勢に任命されるも即日罷む。

11月15日
小城藩主・鍋島直亮が参府により、三日月藩主・森俊滋が就封により登営する。

11月16日
松平定猷が桑名藩主に襲封する。

11月16日
九鬼隆義が三田藩主に襲封する。

11月19日
鷹司家諸大夫、民部大輔・小林良典、安政の大獄で捕らえられ肥後人吉藩への護送前に獄死。(52歳)

11月20日
米国弁理公使・ハリスが老中・脇坂安宅、元軍艦奉行・永井尚志等と会し、神奈川外国人居留等に関して協議する。

11月20日
第9代仁正寺藩主・市橋長富、死去。(55歳)

11月24日
幕府が軍艦奉行並・木村喜毅に条約本書交換使節の護衛として渡米を命じる。

11月24日
老中・脇坂安宅が米国弁理公使・ハリスと会し、洋銀の通用・横浜に於る外国人殺害・貿易品の制限・金貨の価格・神奈川居留地等に関し協議する。

11月25日
老中・間部詮勝が病により外国掛を辞任する。

11月31日
第8代小田原藩主・大久保忠愨、死去。(30歳)

11月
大覚寺家臣・六物空満、安政の大獄にて捕えられ遠島前に獄死。(59歳)




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吉田松陰墓
2007-12-15 Sat 16:39
吉田松陰墓

吉田松陰墓


山口県萩市椿東にある松陰誕生の地に隣接した団子岩と呼ばれる所にあります。

万延元年(1860) 2月7日に松陰の没後百ヵ日法要で遺髪が埋められた所です。

墓前には門人17名が寄進して名を刻んだ石製水盤、花立、燈籠が供えられています。

(萩)吉田松陰墓献燈門人




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吉田松陰墓
2007-12-15 Sat 16:03
吉田松陰墓

吉田松陰墓


東京都世田谷区若林の松陰神社にあります。

文久3年に高杉晋作らの手により小塚原回向院から改葬されました。

明治15年同所に松陰神社が創建されました。


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吉田松陰墓
2007-12-15 Sat 15:35
吉田松陰墓

吉田松陰墓


東京都荒川区南千住5-33-13の小塚原回向院にあります。

文久3年に高杉晋作らの手により世田谷区若林に改葬されました。


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吉田松陰
2007-12-15 Sat 14:58
吉田松陰

吉田松陰
生:天保元年(1830)8月4日
没:安政6年(1859)10月27日
長州(萩)藩士
正四位

略歴

天保元年、萩藩士・杉百合之助の次男として生まれる。

天保5年、父の弟の吉田大助の仮養子となる。

天保6年、吉田家の家督を継ぎ、叔父の玉木文之進、山田宇右衛門らに師事する。

天保11年、藩主・毛利敬親の御前で「武教全書」を講じる。

嘉永2年、長州沿岸を巡視する。

嘉永3年、九州を遊学し肥後藩士・宮部鼎蔵らに面会する。

嘉永4年、藩主に従い江戸へ行き、佐久間象山らに師事する。

嘉永4年12月、脱藩し東北へ遊学する。

嘉永5年、帰国し杉家にて謹慎、脱藩の罪により士籍及び家禄を没収される。

嘉永6年6月、佐久間象山と共に米艦隊視察の為浦賀へ行く。

嘉永6年9月、長崎停泊中の露艦に乗って海外に密航する為江戸を出発する。

嘉永6年10月、京都にて梁川星巌、熊本にて横井小楠を訪ねる。

安政元年3月、金子重輔と共に下田に停泊中の米艦船で海外への密航を企てる。

安政元年4月、金子重輔と共に江戸伝馬町の獄舎に入れられる。

安政元年10月、萩に護送され野山獄に入れられる。

安政2年、野山獄を出獄し杉百合之助邸の幽室に蟄居する。

安政3年9月、久保五郎左衛門の松下村塾を継承する。

安政5年11月、老中・間部詮勝要撃を計画する。

安政5年12月、野山獄に再入獄する。

安政6年7月、安政の大獄により捕えられ江戸伝馬町の獄舎に入れられる。

安政6年10月、「留魂録」を作成。伝馬町獄舎にて斬首。30歳

墓所:東京都荒川区にある回向院
墓所:東京都世田谷区にある松陰神社
墓所:山口県萩市萩市椿東にある団子岩






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