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2008-01-31 Thu 22:32
佐久良東雄
生:文化8年(1811)3月21日 没:万延元年(1860)6月27日 国学者・歌人 従四位 略歴 文化8年、常陸国新治郡浦須村にて郷士・飯島平蔵の長男として生まれる。 文政3年、下林村の観音寺に入り住職・康哉の弟子となる。 文政8年、得度する。 文政10年、奈良の長谷寺にて仏道修行を行う。 天保3年、観音寺の第28代住職となる。 天保6年、新治郡真鍋村の善応寺の第18代住職となる。 藤田東湖、会沢正志斎、加藤桜老、大久保要らと交友する。 天保13年、善応寺住職を辞して江戸に赴き、平田篤胤に入門し国学を学ぶ。 天保14年、国学復古を志し還俗、鹿島神宮に参詣して桜樹千株を奉献植え佐久良東雄と改名する。 弘化元年、京都に赴き妙法院宮の家人となり、後大坂北久宝寺に移り座摩神社の神官を務める。 嘉永6年、妙法院宮に召されて中奥席格となり、皇学教授に任命される。 万延元年3月、桜田門外の変に参加し大坂に逃亡してきた高橋多一郎父子を匿った罪により捕えられ松屋町の牢獄に繋がれる。 万延元年4月、江戸伝馬町獄舎移送される。 万延元年6月、「吾徳川の粟を食わず」と宣言して絶食し獄死。50歳 墓所:茨城県土浦市真鍋の善応寺 |
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2008-01-31 Thu 20:45
本多忠徳
生:文政元年(1818)9月18日 没:万延元年(1860)6月12日 第5代泉藩主 従五位下・越中守 略歴 文政元年、第4代泉藩主・本田忠知の3男として生まれる。 天保7年、家督を継ぎ、奏者番に任命される。 天保12年、西の丸若年寄に任命される。 天保14年、本丸若年寄に任命される。 嘉永5年、藩校・汲深館を設立する。 嘉永6年、武蔵・下総・安房の海岸巡検を命じられ、川路聖謨、江川太郎左衛門らと同行調査をする。 万延元年、死去。43歳 墓所:東京都墨田区向丘の弘福寺 |
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2008-01-31 Thu 18:48
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年6月の歴史を振り返るきに。 ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。 6月1日 奏者番・諏訪忠誠が若年寄に任命される。 6月2日 老中・脇坂安宅、安藤信睦がポルトガル国使節・ギマレースと会し、国書捧呈・条約締結に関し協議する。 6月2日 第11代島原藩主・松平忠淳、死去。(20歳) 6月3日 京都所司代・酒井忠義が幕府の奉答書を関白・九条尚忠に送り皇女・和宮の降嫁を請願する。 6月4日 外国奉行・溝口直清、酒井忠行、目付・松平清秀がポルトガル国使節・ギマレースと英国仮公使館に会し、条約章程を協議する。 6月8日 外国奉行・溝口直清、酒井忠行、目付・松平清秀が再びポルトガル国使節・ギマレースと英国仮公使館に会し、条約章程を協議する。 6月12日 第5代泉藩主・本多忠徳、死去。(43歳) 6月13日 元水戸藩士・関鉄之助が兵庫に至る。 6月17日 外国奉行・溝口直清、酒井忠行、目付・松平清秀がポルトガル国使節・ギマレースと日ポ修好通商条約二十四条及び貿易章程九款を調印する。 6月18日 議奏加勢・徳大寺公純を罷む。 6月22日 権大納言・正親町三条実愛が議奏に任命される。 6月23日 高田藩主・榊原政恆、大垣藩主・戸田氏彬、高遠藩主・内藤頼直、福知山藩主・朽木綱張、鳥羽藩主・稲垣長明、水口藩主・加藤明軌、出羽松山藩主・酒井忠良、与板藩主・井伊直充、飯田藩主・堀親義、大田原藩主・大田原富清、天童藩主・織田信学、奥殿藩主・大給乗謨、谷田部藩主・細川建貫が参府により登営する。 6月24日 天守番頭・勝義邦が蕃所調所頭取助に任命される。 6月24日 米倉昌言が武蔵金沢藩主に襲封する。 6月25日 岡崎藩主・本多忠民が老中に、笠間藩主・牧野貞明、長岡藩主・牧野忠恭、丸岡藩主・有馬道純が奏者番に任命される。 6月25日 松代藩主・真田幸教、福山藩主・阿部正教、白河藩主・阿部正耆、棚倉藩主・松井康圭、小島藩主・滝脇信進、岸和田藩主・岡部長寛、八幡藩主・青山幸哉、三春藩主・秋田憙季、田中藩主・本多正訥、丹後田辺藩主・牧野誠成、高取藩主・植村家保、刈谷藩主・土井利善、美作勝山藩主・三浦弘次、府内藩主・大給近説、長島藩主・増山正修、田原藩主・三宅康保、長瀞藩主・米津政明、七日市藩主・前田利豁、小倉支藩千束藩主・小笠原貞正、今治藩主・久松定法が就封により登営する。 6月25日 第8代小倉藩主・小笠原忠嘉、死去。(22歳) 6月27日 妙法院侍・佐久良東雄、桜田門外の変に関係し捕えられ伝馬町獄舎にて絶食死。(50歳) 6月30日 幕府が彦根藩に命じて禁裏及び関白・九条尚忠邸の警備を、高松・松江・郡山・桑名・淀・膳所・篠山・高槻諸藩に京都諸口の警備を命じる。 |
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2008-01-31 Thu 18:31
井伊直弼供養塔
![]() 彦根市里根町にある天寧寺にあります。 直弼の父直中が手打ちにした腰元の供養の為に創建された寺で、直弼の血を吸った桜田門外の土や遺品が4斗樽4杯に詰めて埋められ、その上に宝篋印塔の供養塔が建てられました。 大きな地図で見る |
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2008-01-31 Thu 18:16
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2008-01-31 Thu 18:06
井伊直弼誕生地
![]() 文化12年10月29日、彦根城天守閣と内堀を挟んだ場所にある下屋敷の「楽々園」と呼ばれる庭園内にある槻御殿で、第11代彦根藩主・井伊直中の14男として側室お富の方との間に生まれました。 ![]() 直弼は埋木舎に移るまでの17年間をここで過ごしました。 大きな地図で見る |
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2008-01-25 Fri 16:56
坊城俊明
生:天明2年(1782)1月19日 没:万延元年(1860)5月26日 堂上公家 略歴 天明2年、権大納言・坊城俊親の子として生まれる。 文政2年、参議に任命される。 文政7年、権大納言に任命される。 天保7年、議奏に任命される。 弘化2年、武家伝奏に任命される。 嘉永6年、将軍宣下勅使として朝幕交渉に尽力する。 安政元年、辞職。 万延元年、死去。79歳 |
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2008-01-25 Fri 16:36
飯田忠彦
生:寛政10年(1798)12月18日 没:万延元年(1860)5月27日 国学者・有栖川宮家士 従四位 略歴 寛政10年、徳山藩士・里見義十郎兼門の3男として生まれる。 文化7年、「大日本史」を愛読する。 文化9年、徳山藩士・松尾恒貞の養子になる。 文政元年、女性問題を咎められた事から出奔する。 河内国八尾の郷士・飯田謙介の婿養子になる。 文政6年、妻と離縁し飯田家を出奔する。 天保5年、有栖川宮家の家来になる。 嘉永4年、「大日本野史」全291巻の編纂を終える。 安政5年、安政の大獄に連座し拘禁される。 安政6年、押込100日に処せられる。 安政7年、刑期満了に伴い京都深草の浄蓮華院にて仏門に入る。 万延元年、桜田門外の変に関与した嫌疑により伏見奉行に捕えられ、憤慨の余り自刃。63歳 墓所:京都府京都市中京区の本誓寺 |
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2008-01-25 Fri 13:52
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年5月の歴史を振り返るきに。 ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。 5月2日 長州藩士・高杉晋作が多度津に至る。 5月3日 長州藩士・高杉晋作が金毘羅宮に参詣する。 5月4日 老中・脇坂安宅、安藤信睦が英国特派全権公使・オールコックと会し、長崎居留地地税・横浜居留地拡張等に関し協議する。 5月5日 幕府軍艦「咸臨丸」が浦賀に帰港する。 5月7日 元水戸藩士・関鉄之助が熊本に至る。 5月7日 長州藩士・高杉晋作が小豆島に至る。 5月11日 京都所司代・酒井忠義が関白・九条尚忠に征夷大将軍・徳川家茂と皇女和宮の婚儀勅許の仲介を依頼する。 5月13日 遣米使節・新見正興等が米国軍艦「ナイヤガラ号」に乗じて帰国の途に就く。 5月15日 軍艦奉行・木村喜毅、軍艦操練所教授方頭取・勝義邦が米国からの帰国により登営し、征夷大将軍・徳川家茂に拝謁する。 5月15日 姫路藩主・酒井忠顕、伊予松山藩主・久松勝成が参府により、膳所藩主・本多康穣、高槻藩主・永井直矢が就封により登営する。 5月18日 第12代高須藩主・松平義端、死去。(3歳) 5月21日 老中・安藤信睦が蘭国領事・クルチウスと会し、長崎出島の拡張・西海岸に於る開港場・保税倉庫の設置等に関し協議する。 5月23日 元笠間藩士・島男也「、浪士・佐久良東雄、元水戸藩士・内藤文七郎、大貫多介が大坂・堺等において捕縛され江戸に護送される。 5月23日 有栖川宮家士・飯田忠彦、桜田門外の変の嫌疑を受け憤慨の余り自刃。(63歳) 5月26日 幕府が元笠間藩士・島男也、浪士・佐久良東雄、元水戸藩士・内藤文七郎、大貫多介を評定所にて喚問する。 5月26日 公家、権大納言・坊城俊明、死去。(79歳) 5月28日 若年寄・稲垣太和、奏者番米倉昌寿を罷む。 |
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2008-01-25 Fri 13:40
細川斉護
生:文化元年(1804)9月16日 没:万延元年(1860)4月17日 第10代熊本藩主 従四位下、中務少輔、越中守、左近衛権中将 略歴 文化元年、第7代宇土藩主・細川立之の長男として生まれる。 文政9年、第9代熊本藩主・細川斉樹の養子となり、家督を継ぐ。 弘化4年、天草警備を命じられる。 嘉永6年、本牧、相模警備を命じられる。 万延元年、死去。57歳 熊本県熊本市立田町の泰勝寺 |
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2008-01-25 Fri 13:15
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年4月の歴史を振り返るきに。 ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。 4月1日 幕府が京都所司代・酒井忠義に皇女・和宮を征夷大将軍・徳川家茂に降嫁あらせられんことの内願を命じる。 4月1日 加賀藩主・前田斉泰、仙台藩主・伊達慶邦、庄内藩主・酒井忠発が就封により、加賀藩世子・前田慶寧が参府により登営する。 4月1日 目付・鳥居忠善が外国奉行に任命される。 4月2日 幕府が膳所藩御預の元水戸藩士・蓮田市五郎を黒川藩に御預替とする。 4月3日 遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順が米国国務卿・カッスと日米修好通商条約本書の交換をする。 4月3日 元水戸藩士・関鉄之助が鳥取に至る。 4月4日 幕府軍艦「咸臨丸」がハワイ・ホノルルに寄港する。 4月6日 軍艦奉行・木村喜毅等、ハワイ国王カメハメハ四世に拝謁する。 4月9日 元水戸藩士・山崎獵蔵、桜田門外の変に参画、幕吏に捕えられ獄死。(33歳) 4月12日 所司代・酒井忠義が関白・九条尚忠に書を送り皇女・和宮の降嫁の内願をする。 4月13日 長州藩士・高杉晋作が海軍蒸気科修行の為海路江戸へ向かう。 4月15日 長州藩世子・毛利定広、上ノ山藩主・松平信宝が参府により、小倉藩主・小笠原忠嘉、松前藩世子・松前徳広が就封により登営する。 4月16日 長州藩士・高杉晋作が下関に至り、平岡兵部宅へ入る。 4月17日 第10代熊本藩主・細川斉護、死去。(57歳) 4月18日 米沢藩主・上杉斉憲、松江藩主・松平定安、久保田藩主・佐竹義就、二本松藩主・丹羽長国、広島藩主・浅野茂長、中村藩主・相馬充胤、臼杵藩主・稲葉観通、長門府中藩主・毛利元周、出石藩主・仙石久利、広瀬藩主・松平直諒、本庄藩主・六郷政殷、庭瀬藩主・板倉勝弘、仁正寺藩主・市橋長和、三日月藩主・森俊滋、鳥取支藩若桜藩主・池田清緝、小松藩主・一柳頼紹、下手渡藩主・立花種恭、多度津藩主・京極高典が参府により登営する。 4月20日 遣米使節・新見正興等がフィラデルフィアに向かう。 4月21日 長州藩主・毛利敬親、鳥取藩主・池田慶徳、明石藩主・松平慶憲、大聖寺藩主・前田利鬯、新庄藩主・戸沢正実、丸亀藩主・京極朗徹、久居藩主・藤堂高聴、徳山藩主・毛利元蕃、三田藩主・九鬼隆義、佐土原藩主・島津忠寛、岡山支藩鴨方藩主・池田政詮、足守藩主・ 木下利恭、栢原藩主・織田信民、豊岡藩主・京極高厚、岡田藩主・伊東長裕、山家藩主・谷衛滋、米沢支藩主・上杉勝道、清末藩主・毛利元純、黒石藩主・津軽承叙、小野藩主・一柳末彦が就封により登営する。 4月22日 幕府が富山藩御預中の元水戸藩士・大関和七郎を豊岡藩に、黒沢忠三郎を三田藩に御預替とする。 4月22日 長州藩士・高杉晋作が三田尻に至る。 4月28日 老中・松平乗全を罷む。 4月28日 高鍋藩主・秋月種殷、佐伯藩主・毛利高泰が参府により、広島藩世子・浅野茂勲が就封により登営する。 4月28日 井伊直憲が彦根藩主に襲封する。 4月28日 遣米使節・新見正興等がニューヨークに至る。 4月29日 長州藩士・高杉晋作が御手洗に至る。 |
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2008-01-22 Tue 20:54
奥平小太郎
生:天保5年(1834)8月15日 没:万延元年(1860)閏3月20日 亀山藩士 略歴 天保5年、奥平老之助の子として生まれる。 嘉永6年、京都にて梁川星巌に師事する。 安政5年、江戸の昌平黌で学び、水戸にて高橋多一郎・会沢正志斎らと交遊する。 安政6年、伊勢にて斎藤拙堂に入門する。 安政6年11月、安政の大獄に連座し幽閉される。 万延元年、獄中にて死去。27歳 墓所:京都府亀岡市西堅町の宗堅寺 |
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2008-01-21 Mon 21:44
東北遊日記 序文
有志の士、時平かならば則ち書を読み道を学び、経国の大計を論じ、古今の得失を議す。一旦変起らば則戎馬の間に従ひ、敵を料り交を結び、長策を建てて国家を利す。是れ平生の志なり。然り而して天下の形勢に茫乎たらば、何を以てか之れを得ん。余客歳鎮西に遊び、今春東武に抵る、略ぼ畿内・山陽・西海・東海を跋渉せり。而して東山・北陸は土広く山峻しくして、古より英雄割拠し、奸凶巣穴す。且つ東のかた満州に連り、北は鄂羅に隣す。是れ最も経済国の大計の関る所にして、宜しく古今の得失を観るべきものなり。而して余未だ其の地を経ず、深く以て恨みと為せり。頃ろ肥人宮部鼎蔵東北遊を余に謀る。余喜びて之れを諾す。会々奥人安芸五蔵も亦将に常奥に抵らんとす、遂に同行を相約せり。余因つて一冊子を作り、古今の得失、山川の形勢、凡そ目撃する所は皆将に日を以て之れを記さんとす。 嘉永四年臘月 吉田大次郎藤原矩方識す 長州藩士・吉田松陰が嘉永4年12月14日から翌年の4月5日の間、友人である肥後藩士・宮部鼎蔵と共に北陸から東北地方にかけて旅をした時の日記です。 |
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2008-01-21 Mon 21:11
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2008-01-21 Mon 20:45
日下部裕之進
生:天保7年(1836) 没:万延元年(1860)閏3月3日 薩摩藩士 正五位 略歴 天保7年、当時水戸藩士・日下部伊三治の長男として生まれる。 安政2年、父と共に薩摩藩へ復帰する。 安政5年、水戸藩へ勅諚が下ると、その写しを水戸小石川邸に届ける。 安政5年、安政の大獄により江戸伝馬町獄舎に繋がれる。 安政6年、遠島の刑に処せられる。 万延元年、配流地に赴く前に獄中にて病死。25歳 墓所:東京都荒川区にある回向院 |
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2008-01-20 Sun 20:13
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年閏3月の歴史を振り返るきに。 ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。 閏3月1日 関宿藩主・久世広周が老中に、使番・浅野氏祐、小十人組・滝川具知が目付に任命される。 閏3月1日 会津藩主・松平容保、結城藩主・水野勝任が参府により、浜田藩主・松平武聡、新見藩主・関長克、荻野山中藩主・大久保教義が就封により登営する。 閏3月3日 薩摩藩士・日下部裕之進、安政の大獄で捕えられ伝馬町獄にて獄死。(25歳) 閏3月5日 元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎が江戸に護送される。 閏3月5日 遣米使節・新見正興等がパナマ港に到着する。 閏3月7日 長州藩士・高杉晋作が海軍蒸気科修行の為江戸差遣わしの藩命を受ける。 閏3月11日 元水戸藩士・森山繁之介を足利藩に、森五六郎を小泉藩に御預替とする。 閏3月11日 久留島通靖が森藩主に襲封する。 閏3月15日 下田奉行・中村時万が普請奉行に任命される。 閏3月15日 熊本藩世子・細川慶順が就封により登営する。 閏3月16日 本多正訥が田中藩主に襲封する。 閏3月18日 幕府が元水戸藩士・黒沢忠三郎及び桜田事変関係の町人等を評定所に喚問する。 閏3月19日 軍艦奉行・木村喜毅等が軍艦「咸臨丸」に乗じてサンフランシスコを出港する。 閏3月20日 亀山藩士・奥平小太郎、安政の大獄で捕えられ藩の獄舎にて病死。(27歳) 閏3月21日 征夷大将軍・徳川家茂が彦根藩主・井伊直弼の病により使者を以て物を賜う。 閏3月21日 幕府が元水戸藩士・森山繁之介を評定所にて審問する。 閏3月23日 元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎が檻送されて品川に到着する。 閏3月24日 幕府が水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎を一ノ関藩に御預とする。 閏3月25日 征夷大将軍・徳川家茂が奥医師・大膳亮章庵を彦根藩邸に遣し、藩主・井伊直弼の病を診させる。 閏3月25日 遣米使節・新見正興等が首都・ワシントンに入る。 閏3月25日 内藤正誠が岩村田藩主に襲封する。 閏3月26日 幕府が元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎を評定所にて喚問する。 閏3月28日 遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順が第15代大統領・ブキャナンに謁見し征夷大将軍・徳川家茂の親書提出する。 閏3月29日 彦根藩士・長野主膳が小浜藩士三浦七兵衛に書を送り、和宮降嫁斡旋を促す。 閏3月29日 老中・脇坂安宅、安藤信睦が英国特派全権公使・オールコック会し、長崎及横浜居留地の配当・通貨交換等に関し協議する。 閏3月30日 彦根藩が藩主・井伊直弼の喪を発す。 |
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2008-01-20 Sun 19:40
文武稽古万世不朽の御仕法立気附書
(抜粋) 文武御興隆の大本は御家中貴賎を選ばず剛毅木訥の風を成し候段、第一義と存じ奉り候。左なく候ては、假令何程文武に長じ候人材成就仕り候ても、国家において毫も裨益之れまき偽と存じ奉り候。後世風俗日を追うて軽薄に趨り候段、実に大息に堪へざる儀に御座候。正言、護論、道を直して以て行ふの風少なし、豈に剛といふべけんや。勇往力前、憤を発し行を励むの気に乏し、豈に毅といふべけんや。華奢靡麗、容止に閑ふ、木に非ず。巧言令辞、逢迎に巧なり、訥に非ず。然る処、文武御興隆に付いては恐れながら御代始めより容易ならず御心労遊ばされ、是れ等の弊風も追々相改まり候事にて、只今兎角と申上ぐるには及ばざる儀に御座候へども、此の風を挽回致し候一儀御興隆の眼目にて、厚く御詮議仰せ付けられず候ては相済まずと存じ奉り候に付き黙止し難く、儒武の師家中へ兼ねて篤と御示し仰付けられ度き一端を申上げ候。儒師の儀は素より誠意正心の道を以て人を教導致し候儀に候へば、右等の御示しには及び申さざる事にも候や。武芸に至り候ては、師家たるものも、夫々芸業さへ相伝へ候へば、己が職分相済み候事の様心得違ひ候向も間々之れあるやに相見え候。且つ門弟たるものも武芸師に就いて武士道を学び候心得は絶えて之れなき様相見え申し候。然れども一己の小武芸にても所謂剛毅木訥の所より鍛錬致し候はでは、武士道の大本相立たず、芸業も随つて成熟に至らざる訳に之れあるべく、又剛毅木訥の所より鍛錬致し候へば、一己の小武芸も大いに人の材徳を長じ候益と相なるべく存じ奉り候事。 嘉永4年2月20日、長州藩士・吉田松陰が藩校明倫館で文武を盛んにする方法を藩の重臣より意見を出すように依頼され、明倫館兵学師範として提出したものです。 本文の中で文武を盛んにする根本は「剛毅木訥の風を成し候段」(意思が強く、物事に屈せず、飾り気が無く、口下手であるような風潮をかもし出す事)だとしています。 |
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2008-01-19 Sat 19:31
西遊日記 序
道を学び己を成すには、古今の跡、天下の事、陋室黄巻にて固より足れり。豈に他に求むることあらんや。顧ふに、人の病は思はざるのみ。則ち四方に周遊すとも何の取る所ぞと。 曰く、「心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは蝕に従ひて発し、感に遭ひて動く。発動の機は周遊の益なり」と。 西遊日記を作る。 庚戌九月 長陽 吉田矩方識す 嘉永3年8月25日、長州藩士・吉田松陰が九州遊学の旅に出ます。 旅の目的は山鹿流兵学に詳しい平戸藩士・葉山左内に従学することでした。 『西遊日記』は平戸・長崎・熊本を歴遊し帰藩するまでの4ヶ月余りを記したものです。 |
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2008-01-19 Sat 18:00
川崎孫四郎
生:文政9年(1826)1月1日 没:万延元年(1860)3月24日 水戸藩士 正五位 略歴 文政9年、川崎長貴の4男として生まれる。 安政6年、高橋多一郎の命を受けて大坂に居を構え薩摩藩士と画策する。 万延元年、桜田門外の変で幕吏に探知され大坂の生國魂神社境内にて自刃。35歳 墓所:茨城県勝田市枝川にある仙蔵院 |
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2008-01-19 Sat 17:35
有村雄助
生:天保4年(1833) 没:万延元年(1860)3月24日 薩摩藩士 従四位 略歴 天保4年、薩摩藩士・有村兼善の次男として生まれる。(兄・海江田信義、弟・有村次左衛門) 安政5年、弟・次左衛門とともに水戸藩士と交流を深める。 安政6年、水戸藩士・高橋多一郎、金子孫二郎等と大老・井伊直弼襲撃に関し競技する。 万延元年1月、水戸藩士・木村権之衛門、佐野竹之介、黒沢忠三郎、薩摩藩士・田中直之進等と会し、両藩の同志結盟・斬奸義挙のことを協議する。 万延元年2月、元水戸藩士・金子孫二郎と密に除奸及び上京挙兵に関し密議する。 万延元年3月3日、大老・井伊直弼襲撃を見届け、元水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎と共に直ちに江戸を脱し京都へ向う。 万延元年3月9日、四日市駅に於て薩摩藩士・坂口勇右衛門らにより捕縛される。 万延元年3月24日、藩庁の命により奈良原繁の介錯にて切腹。28歳 墓所:東京都港区にある青山墓地 墓所:鹿児島県鹿児島市にある旧南林寺墓地 |
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2008-01-19 Sat 17:07
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2008-01-19 Sat 17:02
高橋多一郎
生:文化11年(1814) 没:万延元年(1860)3月23日 水戸藩士 正四位 略歴 文化11年、水戸藩士・高橋諸往の長男として生まれる。 天保10年、家督を継ぎ、床机廻に任命される。 天保12年、奥右筆に任命される。 弘化元年、藩主・徳川斉昭の無実を訴え嘆願書を呈し、禁固刑に処せられる。 嘉永5年、復職する。 安政2年、奥右筆頭取に任命される。 安政5年、小姓頭取に任命される。 安政6年、薩摩藩士と大老・井伊直弼襲撃を謀議する。 万延元年、桜田門外の変に参画、潜伏地を幕吏に探索され大坂四天王寺境内の小川欣司兵衛宅にて息子・高橋庄左衛門と共に自刃。47歳 辞世 鳥が鳴くあづま健夫のまごころは 鹿島の里のあなたとぞ知れ 墓所:大阪府大阪市天王寺区にある四天王寺 墓所:茨城県水戸市松本町にある常盤共有墓地 |
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2008-01-19 Sat 16:44
高橋庄左衛門 生:天保13年(1842) 没:万延元年(1860)3月23日 水戸藩士 従四位 略歴 天保13年、水戸藩士・高橋多一郎の長男として生まれる。 茅根伊予之介に師事する。 万延元年、桜田門外の変に参画、潜伏地を幕吏に探索され大坂四天王寺境内の小川欣司兵衛宅にて父・高橋多一郎と共に自刃。19歳 |










