龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
ヒュースケン
2008-02-26 Tue 17:19
ヒュースケン

生:天保3年(1832)
没:万延元年(1860)12月5日
駐日米国公使館通弁官

略歴

天保3年、オランダ・アムステルダムにて生まれる。

安政3年、米国総領事・ハリスの書記兼通弁官となり来日する。

安政5年、米公使館初代書記官となり日米交渉に尽力する。

万延元年、芝赤羽のオイレンブルク居館からの帰途攘夷派により暗殺される。28歳

墓所:東京都港区南麻布の光林寺




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万延元年(1860)12月
2008-02-24 Sun 20:35
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年12月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

12月1日
孝明天皇が幕府のプロシア・スイス・ベルギー三国との条約締結の奏上に逆鱗し、皇妹和宮降嫁の破談を仰出、関白・九条尚忠及び議奏・武家伝奏が勅使を以て和宮東下の延期を幕府に沙汰せんことを奏上する。

12月1日
老中・久世広周が外国掛に、中奥小性・高井道致、目付・滝川具知が外国奉行に、使番・京極高朗、山口直毅が目付に任命される。

12月1日
堀直賀が村松藩主に襲封する。

12月5日
外国奉行・村垣範正、竹本正雅、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、条約章程を審議する。

12月5日
米国公使館通訳・ヒュ―スケン、芝赤羽のオイレンブルク居館からの帰途、薩摩藩の伊牟田尚平らにより暗殺される。

12月9日
酒井忠績が姫路藩主に襲封する。

12月10日
長州藩士・高杉晋作が藩命により明倫館都講暫役に任命される。

12月12日
会津藩主・松平容保が左近衛権中将に叙任される。

12月13日
箱館奉行・津田正路、寄合・野野山兼寛が外国奉行に任命される。

12月14日
外国奉行・村垣範正、竹本正雅、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、日普修好通商航海条約23箇条並貿易章程9則に調印する。

12月15日
若年寄・牧野康哉を罷め、奏者番兼寺社奉行・水野忠精が若年寄に、大目付・遠山則訓が西丸留守居に、小笠原長常が勘定奉行に、勘定奉行・山口直信、目付・駒井朝温が大目付に任命される。

12月15日
沼田藩主・土岐頼之、久留里藩主・黒田直和、壬生藩主・鳥居忠宝、岩槻藩主・大岡忠恕、岡部藩主・安部信宝、飯野藩主・保科正益、武蔵金沢藩主・米倉昌言、生実藩主・森川俊徳が参府により登営する。

12月18日
伊東長生が岡田藩主に襲封する。

12月28日
大坂城代・松平信義が老中に任命される。

12月28日
寺社奉行・松平宗秀が大坂城代に任命される。

12月28日
福岡藩主・黒田斉溥が参府により登営する。

12月29日
酒井忠美が安房勝山藩主に襲封する。




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堀利煕
2008-02-24 Sun 15:37
堀利煕

生:文政元年(1818)
没:万延元年(1860)11月20日
幕臣、外国奉行
従五位下、織部正

略歴

文政元年、大目付・堀利堅の子として生まれる。

嘉永2年、小姓組徒頭に任命される。

嘉永6年5月、目付、海防掛に任命される。

嘉永6年11月、大船製造掛に任命される。

嘉永7年4月、北蝦夷地を視察する。

嘉永7年8月、箱館奉行に任命される。

安政5年7月、外国奉行兼務に任命される。

安政5年8月、露・英・仏の通商条約に全権として調印する。

安政6年、神奈川奉行兼務に任命される。

万延元年、プロイセンとの秘密交渉の嫌疑をかけられ自刃。43歳

墓所:東京都文京区の源覚寺




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酒井忠一
2008-02-24 Sun 14:42
酒井忠一

生:文政6年(1823)
没:万延元年(1860)11月13日
第8代安房勝山藩主
従五位下、安芸守

略歴

文政6年、第7代安房勝山藩主・酒井忠嗣の次男として生まれる。

嘉永元年、従五位下、安芸守に任命される。

嘉永四年、家督を継ぐ。

万延元年、死去。38歳




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万延元年(1860)11月
2008-02-24 Sun 14:31
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年11月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

11月1日
幕府が諸侯に総登城を命じ、和宮内親王の降嫁を公布する。

11月1日
老中・久世広周、若年寄・遠藤胤統が大将軍婚儀並和宮下向御用掛に、若年寄・諏訪忠誠が和宮下向扈従に、京都所司代・酒井忠義が和宮下向御用掛に任命される。

11月1日
平戸藩主・松浦詮が参府により、芝村藩主・織田長易が就封により登営する。

11月3日
第8代安房勝山藩主・酒井忠一、死去。(38歳)

11月5日
浦賀奉行・小笠原長儀、死去。

11月6日
小笠原貞幹が小倉藩主に襲封する。

11月6日
小笠原貞孚が安志藩主に襲封する。

11月8日
目付・小栗忠順が外国奉行に任命される。

11月8日
長州藩士・高杉晋作が藩命により再び明倫館舎長に任命される。

11月14日
幕府が水戸藩主・徳川慶篤の登営停止を解く。

11月15日
大村藩主・大村純煕、蓮池藩主・鍋島直紀、薩摩藩主・島津直彬が参府により登営する。

11月20日
幕臣、外国奉行・堀利煕、プロイセンとの秘密交渉の嫌疑をかけられ自刃。(43歳)

11月23日
外国奉行・村垣範正、竹本正雅、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、条約章程を審議する。

11月24日
水戸藩主・徳川慶篤が登営停止の解除後初て登営する。

11月28日
外国奉行・村垣範正、竹本正雅、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、条約章程を審議する。

11月29日
老中・脇坂安宅を罷む。




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小笠原忠嘉
2008-02-20 Wed 21:50
小笠原忠嘉

生:天保10年(1839)2月29日
没:万延元年(1860)6月25日
第8代小倉藩主
従四位下、右近将監

略歴

天保10年、第5代千束藩主・小笠原貞哲の4男として生まれる。

嘉永4年、千束藩の家督を継ぐ。

安政元年、第7代小倉藩主・小笠原忠徴の養嗣子となる。

安政2年、伊予守に任命される。

安政3年、家督を継ぐ。

安政4年、従四位下、右近将監に任命される。

万延元年、死去。22歳

墓所:福岡県北九州市小倉北区の福聚寺


一口メモ

安政の大獄で捕えられた梅田雲浜は安政6年に江戸の小倉藩主小笠原忠嘉邸にて病死しました。




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酒井忠顕
2008-02-20 Wed 21:12
酒井忠顕

生:天保7年(1836)
没:万延元年(1860)10月14日
第7代姫路藩主
従四位下、左近衛少将

略歴

天保7年、第11代田原藩主・三宅康直の次男として生まれる。

第6代姫路藩主・酒井忠宝の婿養子となる。

嘉永6年、家督を継ぐ。

万延元年、死去。25歳

墓所:群馬県前橋市紅雲町の竜海院




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堀直休
2008-02-20 Wed 20:43
堀直休

生:天保7年(1836)11月3日
没:万延元年(1860)7月12日
第10代村松藩主
従五位下、丹波守

略歴

天保7年、第9代村松藩主・堀直央の次男として生まれる。

安政4年、家督を継ぐ。

安政6年、異国船来航につき新潟警備を命ぜられる。

万延元年、死去。25歳

墓所:新潟県五泉市の英林寺




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万延元年(1860)10月
2008-02-20 Wed 20:26
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年10月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

10月1日
津藩主・藤堂高猷が参府により登営する。

10月1日
長州藩士・高杉晋作が福井に至り、横井小楠に面会する。

10月10日
長州藩士・高杉晋作が大坂に至る。

10月14日
第7代姫路藩主・酒井忠顕、死去。(25歳)

10月15日
弘前藩主・津軽承烈が参府により、備中松山藩主・板倉勝静が就封により登営する。

10月15日
西丸目付・阿部式部が目付に任命される。

10月18日
孝明天皇の異母妹和宮内親王の降嫁の勅許が出される。

10月20日
権大納言・中山忠能、参議・橋本実麗、野宮定功等が和宮婚儀御用掛に任命される。

10月25日
参議・野宮定功が議奏加勢に任命される。




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丹波市川騒動
2008-02-19 Tue 19:06
丹波市川騒動

安政6年(1859)福知山藩の家老・市川儀右衛門が藩の財政再建と称して、年貢を増増加・専売制の強化など庶民に対し厳しい政策を行いました。

ある日美作浪人・松岡半十郎らが役所である「諸商業正直取締会所」を襲撃し金品を盗み庶民に分け与え義賊とされました。
後に松岡半十郎は捕えられ処刑されましたがこの義賊の評判が拡がり翌万延元年8月一万八千人が参加した大規模な一揆がおこりました。

この一揆により藩は政策を緩和し、家老・市川儀右衛門に切腹を命じました。


義賊・松岡半十郎は処刑される前に
「三味線の糸より細き我が命 ひき回されてばちは目の前」
と辞世を詠み、小さな金の観音さんを、見物の衆に見せると
「私の墓に梅干しを供えると、観音様の御利益で首から上の病を治してやる」
と言って観音様を飲み込んだという事です。

福知山市和久市町には松岡半十郎を祀った「梅干し半十郎観音」があり梅干しが供えられています。



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万延元年(1860)9月
2008-02-19 Tue 18:26
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年9月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

9月1日
岡部藩主・安部信宝が就封により、神戸藩主・本多忠貫が参府により登営する。

9月1日
長州藩士・高杉晋作が府中に至る。

9月2日
長州藩士・高杉晋作が笠間に至る。

9月3日
長州藩士・高杉晋作が加藤有隣を訪問する。

9月4日
安政の大獄で処罰されていた前一橋家主・一橋慶喜、前尾張藩主・徳川慶勝、前福井藩主・松平慶永、前土佐藩主・山内豊信の謹慎が解かれる。

9月4日
長州藩士・高杉晋作が大泉に至る。

9月5日
長州藩士・高杉晋作が宇都宮に至る。

9月6日
長州藩士・高杉晋作が日光山下に至る。

9月7日
前掛川藩主・太田資始、元川成島藩主・本郷泰固、元側衆・故石河政平、元奥医・岡櫟仙院の謹慎が解かれる。

9月7日
長州藩士・高杉晋作が中禅寺湖を見物する。

9月8日
長州藩士・高杉晋作が日光東照宮を拝観する。

9月9日
長州藩士・高杉晋作が壬生に至る。

9月10日
遣米使節・新見正興等が香港に到着する。

9月10日
蘭国総領事・デ・ウイットが普国との和親通商条約の締結を幕府に勧告する。

9月12日
長州藩士・高杉晋作が足利に至る。

9月13日
水戸藩が前藩主・徳川斉昭に謚して源烈公と称す。

9月14日
長州藩士・高杉晋作が玉村に至る。

9月15日
熊本藩主・細川慶順、麻生藩主・新庄直彪が就封により、亀田藩主・岩城隆政、秋月藩世子・黒田長久が参府により登営する。

9月15日
京都町奉行・小笠原長常が大目付に、外国奉行兼神奈川奉行・酒井忠行が勘定奉行に、目付・都築峰暉が神奈川奉行に、天璋院付用人・原思孝が京都町奉行に任命され、外国奉行兼神奈川奉行・溝口直清、堀利煕、竹本正雅、鳥居忠善、松平康英を罷む。

9月15日
長州藩士・高杉晋作が碓氷峠の関所を経て坂下に至る。

9月16日
長州藩士・高杉晋作が塩野に至る。

9月17日
長州藩士・高杉晋作が上田城下に至る。

9月18日
松平忠愛が島原藩主に襲封する。

9月21日
長州藩士・高杉晋作が松代に至る。

9月22日
松前藩主・松前崇広が参府により、綾部藩主・九鬼隆都が就封により登営する。

9月22日
長州藩士・高杉晋作が松代藩士・佐久間象山を訪問する。

9月23日
長州藩士・高杉晋作が善光寺を参拝する。

9月24日
長州藩士・高杉晋作が荒井に至る。

9月25日
長州藩士・高杉晋作が長浜に至る。

9月26日
長州藩士・高杉晋作が糸魚川に至る。

9月27日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順等が品川沖に至る。

9月27日
前水戸藩主・徳川斉昭が常陸国太田瑞龍山に埋葬される。

9月28日
祐宮、立親王宣下。御名を睦仁と賜る。

9月28日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順等が横浜に上陸する。

9月29日
遣米使節・新見正興、村垣範正、小栗忠順等が登営する。




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徳川斉昭
2008-02-11 Mon 20:44
徳川斉昭

徳川斉昭


生:寛政12年(1800)3月11日
没:万延元年(1860)8月15日
第9代水戸藩主
従三位、権中納言・贈正一位、権大納言

略歴

寛政12年、第7代水戸藩主・徳川治紀の3男として生まれる。

文政12年、家督を継ぎ、従三位に叙し、左近衛権中将に任命される。

文政13年、参議に任命される。

天保元年、西洋式軍備などの藩政改革を行う。

天保元年3月、藤田東湖・戸田銀次郎らを登用する。

天保2年、有栖川宮織仁親王の皇女・登美宮吉子と結婚する。

天保3年、幕府へ大砲の鋳造を建言する。

天保5年、幕府へ山稜修復を建言する。

天保8年、権中納言に任命される。

天保8年7月、天保改革の四大項目を示す。

天保10年、幕府に大船解禁・蝦夷地開拓についての意見書「戊戌封事」を提出する。

天保11年、「追鳥狩」と称し領内で軍事訓練を行う。

天保12年、水戸城三の丸内に藩校「弘道館」を創設する。

天保14年、寺社改正を断行し多くの僧を還俗させる。(仏教弾圧)

天保15年5月、前年の仏教弾圧事件などを罪に問われ、隠居・謹慎処分に命ぜられる。

天保15年11月、謹慎処分が解かれる。

弘化2年、幕府に要請していた大砲鋳造の許可が下る。

嘉永2年、幕府から藩政復帰の許可が下る。

嘉永6年7月、老中首座・阿部正弘の要請で海防参与に就任、「海防意見十箇条」を建言する。

嘉永6年8月、「海防意見十三箇条」を幕府に建言する。

安政元年、日米和親条約締結を不服とし幕政参与を辞任する。

安政2年、幕政参与に再任する。

安政4年、幕政参与を辞任する。

安政5年6月、外交措置に関し「質疑十四箇条」を幕府に提出する。

安政5年6月、将軍継嗣・条約調印等に関し、尾張藩主・徳川慶恕、水戸藩主・徳川慶篤、福井藩主・松平慶永、一橋家主・一橋慶喜と共に不時登城をし、大老・井伊直弼に直談判をする。

安政5年7月、不時登城につき謹慎処分を命ぜられる。

安政6年、国許永蟄居を命ぜられ水戸へ帰る。

万延元年、死去。61歳

墓所:茨城県常陸太田市の瑞龍山


一口メモ

斉昭は男女あわせて37人の子供をもうけました。
長男 鶴千代 (第10代水戸藩主・徳川慶篤)
次男 二郎麿
三男 三郎麿
四男 四郎磨
五男 五郎麿 昭徳 (鳥取藩主・池田慶栄養子−第12代鳥取藩主・池田慶徳)
六男 六郎麿
七男 七郎麿 昭致 (一橋家養子−第15代将軍・徳川慶喜)
八男 八郎麿 昭融 (川越藩主・松平典則養子−第6代川越・松平直侯)
九男 九郎磨 昭休 (岡山藩主・池田慶政養子−第9代岡山藩主・池田茂政)
十男 十郎麿 昭音 (浜田藩主・松平武成養子−第4代浜田藩主・松平武聰)
十一男 余一麿 昭縄 (喜連川藩主・喜連川宣氏養子−第11代喜連川藩主・喜連川縄氏)
十二男 余二麿
十三男 余三麿
十四男 余四麿 昭訓
十五男 余五麿
十六男 余六麿 昭嗣 (島原藩主・松平忠愛養子−第13代島原藩主・松平忠和)
十七男 余七麿 昭邦 (土浦藩主・土屋寅直養子−第11代土浦藩主・土屋挙直)
十八男 余八麿 昭徳 (第11代水戸藩主・徳川昭武)
十九男 余九麿 (会津藩主・松平容保養子−第10代会津藩主・松平喜徳)
二十男 廿麿
二十一男 廿一麿
二十二男 廿二麿 昭鄰 (守山藩主・松平頼升養子−第7代守山藩主・松平頼之)

長女 賢姫佐加子 (宇和島藩主・伊達宗城と婚約のみ婚姻前に没)
次女 色許姫
三女 祝姫欽子 (水戸家家老・山野辺義正室)
四女 恕姫
五女 唯姫
六女 松姫明子 (盛岡藩主・南部利剛室)
七女 庸姫
八女 一葉姫
九女 八代姫孝子 (仙台藩主・伊達慶邦継室)
十女 静姫
十一女 茂姫貞子 (有栖川宮熾仁親王妃)
十二女 愛子 (高岡藩主・井上正順室)
十三女 久姫
十四女 寧姫
十五女 正子 (鳥取東館藩主・池田徳澄室)


天保改革の四大項目
・経界の義 − (全領の検地)
・土着の義 − (藩士の土着)
・学校の義 − (藩校弘道館及び郷校の建設)
・総交代の義 − (江戸定府制の廃止)
これらの改革内容は後の水野忠邦による天保の改革に影響を与えたといわれています。

大奥に忌み嫌われていた為、息子である慶喜の将軍継承に支障をきたしたといわれています。

桜田門外の変から僅か5ヶ月で亡くなった為、彦根藩士に暗殺されたのではという風説が流れました。

名言
何事にても、我より先なる者あらば、聴くことを恥じず




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伊東長裕
2008-02-10 Sun 20:05
伊東長裕

生:文化13年(1816)5月19日
没:万延元年(1860)8月14日
第9代備中岡田藩主
従五位下、若狭守

略歴

文化13年、第8代備中岡田藩主・伊東長寛の5男・伊東長禎の長男として生まれる。

天保7年、長寛の11男・伊東長之の養子となる。

天保15年、長之廃嫡により嫡孫となる。

嘉永3年、家督を継ぐ。

万延元年、死去。45歳

墓所:岡山県倉敷市真備町川辺の源福寺




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長谷川速水
2008-02-10 Sun 18:01
長谷川速水

生:天保6年(1835)
没:万延元年(1860)8月9日
高松藩士
正五位

略歴

天保6年、高松藩士・長谷川宗右衛門の次男として生まれる。

天保14年、海保帆平に師事し剣法を学ぶ。

嘉永3年、高松藩世子・松平頼聡の近侍に任命される。

水戸藩に出入りし、武田耕雲斎、会沢正志斎、斎藤監物らと交わる。

安政5年、父の脱藩により閉居を命じられる。

安政6年、安政の大獄で捕えられ江戸伝馬町の獄に繋がれる。(吉田松陰と同室)

万延元年、父と共に高松の獄に送られ獄死。26歳




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万延元年(1860)8月
2008-02-10 Sun 17:27
おっす龍馬ぜよ。今年で26歳になるぜよ。
今日は安政7・万延元年8月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

8月4日
外国奉行・酒井忠行、堀利煕、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、条約締結に関し協議する。

8月6日
関白・九条尚忠が参議・橋本実麗に皇女・和宮の降嫁を勧説させる。

8月6日
稲垣太清が山上藩主に襲封する。

8月7日
外国奉行・酒井忠行、堀利煕、目付・黒川盛泰が普国使節・オイレンブルグと会し、条約締結に関し協議する。

8月8日
皇女・和宮が書を上て降嫁を固辞する。

8月8日
議奏・裏松恭光を罷む。

8月10日
高松藩士・長谷川速水、安政の大獄で捕えられ高松の獄舎にて獄死。(26歳)

8月11日
議奏加勢・久世通煕が議奏に任命される。

8月13日
米国弁理公使・ハリスが老中・安藤信睦を訪ね、普国との条約締結を勧告する。

8月14日
関白・九条尚忠が皇女・和宮の降嫁固辞に依り、第三皇女・寿寓宮の降嫁の叡慮を京都所司代・酒井忠義に命じ幕府に伝達させる。

8月14日
第9代岡田藩主・伊東長裕、死去。(45歳)

8月15日
宇和島藩主・伊達宗徳、掛川藩主・太田資功、人吉藩主・相良為知、館林藩主・秋元志朝、下館藩主・石川総管、佐貫藩主・阿部正恆、佐野藩主・堀田正頌、一宮藩主・加納久徴、荻野山中藩主・大久保教義、多古藩主・久松勝行、牛久藩主・山口弘敞、下妻藩主・井上正兼が参府により、沼田藩主・土岐頼之、久留里藩主・黒田直和、壬生藩主・鳥居忠宝、岩槻藩主・大岡忠恕、飯野藩主・保科正益、生実藩主・森川俊徳武蔵金沢藩主・米倉昌言、が就封により登営する。

8月15日
第9代水戸藩主・徳川斉昭、死去。(61歳)

8月18日
関白・九条尚忠に皇女・和宮の降嫁勅許の旨を幕府に内達させる。

8月18日
普国使節・オイレンブルグが老中・安藤信睦を訪ね、条約の締結を請う。

8月20日
本多忠紀が泉藩主に襲封する。

8月21日
丹波福知山にて農家副産物の専売に対し一揆が勃発する。(丹波市川騒動

8月21日
黒田長久が秋月藩主に襲封する。

8月23日
太宰師・有栖川宮熾仁親王が関白・九条尚忠の内示に依り皇女・和宮との婚儀延期を奏請する。

8月24日
大河内輝照が高崎藩主に襲封する。

8月26日
右衛門督・柳原光愛が議奏加勢に任命される。

8月26日
仏国代理公使・ドゥ・ベルクールが老中・安藤信睦を訪ね、普国との条約締結を勧説する。

8月27日
水戸藩士・林忠左衛門、吉成恒次郎等37人が江戸・薩摩藩邸に至り、攘夷の先鋒たらんことを請う。

8月28日
長州藩士・高杉晋作が東北遊歴の藩許を得て江戸桜田藩邸を出発、途中小塚原の吉田松陰の墓参をし新宿に宿泊する。

8月29日
長州藩士・高杉晋作が牛久に至る。

8月
福岡藩士・平野国臣が下関に至り、豪商・白石正一郎宅に潜伏する。




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大貫多介墓
2008-02-10 Sun 16:55
大貫多介墓

大貫多介墓


東京都荒川区南千住5-33-13にある小塚原回向院にあります。


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日下部三郎右衛門
2008-02-06 Wed 20:06
日下部三郎右衛門

生:文政5年(1822)
没:万延元年(1860)7月28日
彦根藩士

略歴

文政5年、彦根藩士・日下部三郎右衛門令春の子として生まれる。

嘉永6年、供頭役に任命される。

万延元年、桜田門外の変で供頭として随行、駕籠訴の訴状を受け取ろうとした折に切り付けられ負傷、藩邸に帰邸後死亡。39歳

墓所:東京都世田谷区の豪徳寺




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成破の盟約(丙辰丸条約・水長盟約)
2008-02-06 Wed 19:53
成破の盟約(丙辰丸条約・水長盟約)

万延元年(1860)7月22日、長州藩士・桂小五郎、松嶋剛蔵と水戸藩士・西丸帯刀、岩間金平、園部源吉ら品川沖に停泊中の長州藩軍艦「丙辰丸」にて結んだ盟約。

内容
水戸藩が破壊活動「破」、長州藩が事後収拾活動「成」を分担して行っていく事。




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松平忠淳
2008-02-05 Tue 21:07
松平忠淳

生:天保12年(1841)7月20日
没:万延元年(1860)6月2日
第11代島原藩主
従五位下・主殿頭

略歴

天保12年、宇和島藩主・伊達宗紀の3男として生まれる。

安政6年、島原藩主・松平忠精の養子になり家督を継ぐ。

万延元年、死去。20歳

墓所:愛知県額田郡幸田町深溝の本光寺




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黒沢忠三郎墓
2008-02-05 Tue 20:18
黒沢忠三郎墓

黒沢忠三郎墓


茨城県水戸市松本町にある常盤共有墓地にあります。





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黒沢忠三郎
2008-02-05 Tue 20:07
黒沢忠三郎

生:天保元年(1830)
没:万延元年(1860)7月11日
水戸藩士
正五位

略歴

天保元年、水戸藩士・黒沢林蔵の子として生まれる。

嘉永6年、床机廻に任命される。

安政2年、家督を継ぐ。

安政5年、大番組に任命される。

安政6年、雪冤運動に奔走し閉居処分を受ける。

安政7年、桜田門外にて大老・井伊直弼を襲撃し重傷を負い、老中・脇坂安宅邸に自訴、三田藩邸にて死去。31歳

墓所:茨城県水戸市松本町の常盤共有墓地




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松平輝聴
2008-02-05 Tue 19:50
松平輝聴

生:文政10年(1827)8月4日
没:万延元年(1860)7月2日
第9代高崎藩主
従五位下・右京亮

略歴

文政10年、大多喜藩主・松平正敬の4男として生まれる。

弘化3年、高崎藩主・松平輝充の嗣子となり家督を継ぐ。

嘉永2年、奏者番に任命される。

嘉永5年、寺社奉行見習いとなる。

安政3年、寺社奉行に任命される。

万延元年、死去。32歳

墓所:埼玉県新座市の平林寺




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桜田門
2008-02-04 Mon 20:46
桜田門

桜田門外


桜田門は江戸城西ノ丸の南側に内堀に面して建てられ櫓門と高麗門から成っています。
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