龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
桑原幾太郎
2008-04-29 Tue 18:54
桑原幾太郎

生:寛政12年(1800)
没:文久元年(1861)10月10日
水戸藩士
正五位

略歴

寛政12年、水戸藩士・桑原弥次郎の長男として生まれる。

文政11年、第8代水戸藩主・徳川斉脩の継嗣問題で斉昭擁立に奔走する。

天保4年、徳川斉昭の命を受け神武天皇陵の調査を行う。

天保6年、家督を継ぎ、大番組に任命される。

天保10年、郡奉行に任命される。

弘化4年、徳川斉昭が隠居を命じられた際に雪冤運動を起こし禁固4年に処せられる。

安政5年、密勅の諸大名への回達を主張する。

文久元年、死去。62歳

墓所:茨城県水戸市見川町の妙雲寺




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小栗流和兵法三箇条授与(20)
2008-04-29 Tue 18:08
おっす龍馬ぜよ。今年は文久元年、27歳になったぜよ。

10月、日根野道場の日野根弁治先生から小栗流和術の免許皆伝と言われる『小栗流和兵法三箇条』を授与されたぜよ。


小栗流和兵法三箇条

一、 十二気 あかす かゆる ちらす なぐさむ とおす とどむる あぐる さぐる まはす いるる とる しづむ 

一、 手裏剣

一、 盲目弛

右、三箇条は当家に深く之を秘する極意也。実子為りと雖も志浅く義に適わ不る者は猥りに之を伝うべからず。此三箇条之大事は弟子十二人之外伝えざる法也。貴殿因りて多年信に伝ふること有るべし。なお昼夜間断無く工夫され、武功を抽んでるるべき也。よって許状件の如し

元祖 小栗仁右衛門正信
 朝比奈半左衛門可長
 渡邉清太夫利重
 足達茂兵衛正篤
 足達甚三郎正清
 日根野弁次吉賢
 日根野左右馬恵吉
  日野根弁治吉善

文久元年歳次辛酉初冬令辰

  坂本龍馬殿



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文久元年(1861)10月
2008-04-29 Tue 16:49
おっす龍馬ぜよ。今年で27歳になるぜよ。
今日は文久元年10月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

10月
土佐藩士・坂本龍馬が「小栗流和兵法三箇条」を授与される。

10月1日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受ける。

10月2日
議奏加勢・冷泉為理を罷め、大蔵卿・豊岡随資が任命される。

10月3日
皇女和宮の行列が京都市中を巡行し八坂神社にて「首途の儀」を行う。

10月4日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受ける。

10月6日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受ける。

10月7日
薩摩藩国父・島津久光が小納戸・堀次郎を江戸に遣し、前一橋家主・一橋慶喜、前福井藩主・松平慶永の擢用の事を周旋させる。

10月7日
元庄内藩士・清河八郎、処士・安積五郎が南部・羽州を徘徊して三度仙台に入り、元薩摩藩士・伊牟田尚平と再会する。

10月9日
大関増祐が黒羽藩主に襲封する。

10月9日
蕃所調所頭取・大久保忠寛が外国奉行に任命される。

10月10日
水戸藩士・桑原幾太郎、病死。(62歳)

10月11日
長州藩が直目付・周布政之助に帰藩を命じる。

10月11日
土佐藩士・坂本龍馬が讃岐丸亀へ剣術詮議の為土佐を出立する。

10月13日
西尾忠篤が横須賀藩主に襲封する。

10月14日
土佐藩士・坂本龍馬、田中良助宛書簡

10月15日
浜田藩主・松平武聡、清末藩主・毛利元純が参府により登営する。

10月15日
皇女和宮が東下告別の為参内する。

10月15日
外国奉行・根岸衛奮が勘定奉行に、勘定奉行・一色直温が外国奉行に任命される。

10月16日
岩城隆邦が亀田藩主に襲封する。

10月16日
英国特派全権公使・オールコックが老中・安藤信行を訪ね速に御殿山公使館建造に着手することを要請する。

10月17日
皇女和宮が京都・桂宮邸を出発し江戸へ向かう。

10月20日
薩摩藩が側役・小松帯刀を改革方内用掛に任命する。

10月21日
北条氏恭が狭山藩主に襲封する。

10月22日
第9代喜連川藩主・喜連川熈氏、死去。(50歳)

10月22日
牧野伸顕、大久保利通の次男として鹿児島に生まれる。

10月23日
元水戸藩士・関鉄之助が越後湯沢にて水戸藩捕吏に捕縛される。

10月25日
幕府が皇女和宮の江戸到着期日を11月15日と公布する。

10月28日
参議・橋本実麗が京都を発し江戸へ向う。




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土佐勤王党に加盟(19)
2008-04-29 Tue 16:07
おっす龍馬ぜよ。今年は文久元年、27歳になったぜよ。

9月25日、武市の腮が江戸から帰ってきたぜよ。

聞くところによると江戸で土佐勤王党ちゅうもんを結成して同志を募集しているらしい。

勤王勤王とまた腮は相変わらず窮屈なことばかり言っておるが、

『今度の会合でぜひ一番最初に加盟してもらいたい、そすれば人徳のあるおんしのこと、他の者も先を争って加盟してくれるじゃろうきに』

腮のたっての願いなので加盟してやったぜよ。





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平井かほ宛書状
2008-04-27 Sun 19:51
先づ〃〃御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、
 一、高マチ袴
 一、ブツサキ羽織
 一、宗十郎頭巾
外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。
   九月十三日                               坂本龍馬
    平井かほどの


解説
文久元年、坂本龍馬が初恋の女性といわれる平井かほ宛に書いた書状です。

平井かほ(加尾)は龍馬の友人の平井収二郎の妹で才色兼備の女性でした。
安政6年に山内容堂の妹・友姫が三条公睦に嫁いだ際、お付き役として京都に出て、在京の4年間は脱藩した志士の活動を助けました。

この書状は自分が脱藩し京都へ向かった暁には加尾に男装をさせて共に活動をしようと誘ったものと思われています。

加尾はこれに従い土産物の名目で出入りの呉服問屋から袴地と羽織地を購入して仕立て、大刀はこの書状の内容を伏せて兄に送ってもらい、小刀は懐剣でまかなって龍馬からの連絡を待っていたといわれています。


翌文久2年、龍馬が脱藩をすると加尾の兄・平井収二郎は必ず京都の加尾の元へ向かうものと思い、加尾が勤王活動を行うことを危惧して次の書状を送っています。

坂本龍馬、昨廿四日の夜亡命、定めて其地へ参り申べく、龍馬国を出る前日、其許の事につき相談に逢候事御座候。
たとへ龍馬よりいかなる事を相談致候とも決して承知不可致。
今其許は家にありて父母に従ふ身なれば、他人の為に人に使はれ候事出来不申候。
元より龍馬は人物なれども、書物を読まぬ故、時としては間違事も御座候へば、よくよく御心得あるべく候。
只々拙者も其許も報恩の節を失はず、忠孝の道に欠けさる様致され度候。
目出度かしこ。
  収二郎
 かほどの



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田沼意留
2008-04-27 Sun 18:11
田沼意留

生:
没:文久元年(1861)9月17日
第2代相良藩主
従五位下、備前守

略歴

初代相良藩主・田沼意正の長男として生まれる。

文政2年、従五位下備前守に任命される。

天保7年、家督を継ぐ。

天保11年、長男・意尊に家督を譲り隠居する。

文久元年、死去。

墓所:東京都豊島区駒込の勝林寺




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松平直諒
2008-04-27 Sun 17:50
松平直諒

生:文化14年(1817)10月5日
没:文久元年(1861)9月5日
第9代広瀬藩主
従五位下、佐渡守

略歴

文化14年、第8代広瀬藩主・松平直寛の長男として生まれる。

嘉永3年、家督を継ぐ。

文久元年、死去。45歳

墓所:島根県安来市広瀬町の城安寺




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文久元年(1861)9月
2008-04-27 Sun 17:25
おっす龍馬ぜよ。今年で27歳になるぜよ。
今日は文久元年9月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

9月1日
会津藩主・松平容保、津藩主・藤堂高猷が就封により登営する。

9月3日
土佐藩士・武市半平太、江戸にて長州藩士・久坂玄瑞、薩摩藩士・樺山資之らと尊攘について会合する。

9月4日
長州藩士・高杉晋作、桂小五郎、久坂玄瑞が会し国事を談じる。

9月5日
蕃所調所頭取助・勝義邦が講武所砲術師範役に任命される。

9月5日
第9代広瀬藩主・松平直諒、死去。(45歳)

9月11日
薩摩藩が下関の廻船問屋・白石正一郎を藩御用達商人に指定する。

9月11日
老中・久世広周、安藤信行が仏国全権公使・ドゥ・ベルクールと会し、御殿山公使館敷地等の事を協議する。

9月12日
奈良奉行・根岸衛奮が外国奉行に任命される。

9月13日
土佐藩士・坂本龍馬、平井かほ宛書簡

9月14日
幕府が皇女・和宮の京都発輿期日「十月二十日」を公布する。

9月14日
大坂定番・田沼意尊が若年寄に、禁裏付・大久保忠良が普請奉行に、大番頭・京極高富が大坂定番に任命される。

9月15日
加賀金沢藩主・前田斉泰、白河藩主・阿部正耆、松前藩世子・松前徳広が参府により、福岡藩世子・黒田慶賛、結城藩主・水野勝任が就封により登営する。

9月15日
西丸目付・滝川元以、徒頭・小栗政寧が目付に任命される。

9月16日
老中・安藤信行が英国特派全権公使・オールコックと会し、御殿山公使館敷地及び地代を協定する。

9月17日
第2代相良藩主・田沼意留、死去。

9月18日
老中・安藤信行が米国弁理公使・ハリスと会し、御殿山公使館敷地の地代・官舎設計等に関し協議する。

9月20日
外国奉行・野野山兼寛、目付・小笠原広業等が対馬府中に至る。

9月25日
永井直矢が高槻藩主に襲封する。

9月25日
土佐藩士・武市半平太が土佐へ帰国し、勤王党加盟同志の勧誘を始める。

9月26日
外国奉行・桑山元柔が奈良奉行に任命される。

9月26日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受ける。

9月27日
議奏加勢・柳原光愛を罷め、権中納言・冷泉為理が任命される。

9月28日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受け、藩政府の人事案を作成する。

9月30日
長州藩士・高杉晋作が桂小五郎の訪問を受ける。

9月
土佐藩士・坂本龍馬が土佐勤王党に九番目に加盟する。




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土佐勤王党
2008-04-26 Sat 19:02
土佐勤王党

文久元年、土佐藩士・武市半平太により藩論を一藩勤王に変更させる事を目的に組織された。

経緯

文久元年8月、江戸へ剣術修行にきていた土佐藩士・武市半平太は長州の久坂玄端、薩摩の樺山資之らと謀議し、各藩で有志を集め藩論を勤皇にし倒幕活動を行う事を誓約する。

当時安政の大獄で謹慎処分となっている山内容堂を尊王主義者と確信し、公武合体論の藩論を一藩勤王へ変換させようとまず江戸にいる藩士が血盟しその後土佐へ持ち帰り延べ192名が連署血判した。
坂本龍馬は9番目(土佐国内で一番最初といわれている)に名を連ねている。


『土佐勤王党盟約文』
盟曰
堂々たる神州戎狄の辱しめをうけ、古より伝はれる大和魂も、今は既に絶えなんと帝は深く歎き玉う。
しかれども久しく治まれる御代の因循委惰という俗に習いて、独りも此心を振い挙て皇国の禍を攘う人なし。
かしこくも我が老公夙に此事を憂い玉いて、有司の人々に言い争い玉えども、却てその為めに罪を得玉いぬ。斯く有難き御心におはしますを、など此罪には落入玉いぬる。君辱かしめを受る時は臣死すと。
況むや皇国の今にも衽を左にせんを他にや見ゆるべき。彼の大和魂を奮い起し、異姓兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて国家興復の万一に裨補せんとす。
錦旗若し一たび揚らバ、団結して水火をも踏まむと、爰に神明に誓い、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は万民の患をも払はんとす。左れば此中に私もて何にかくに争うものあらば、神の怒り罪し給うをもまたで、人々寄つどいて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書きしるしをさめ置ぬ。
 文久元年辛酉八月
武市半平太 小楯
大石弥太郎 元敬
島村衛吉 重険
間崎哲馬 則弘
門田為之助 穀
柳井健次 友政
河野万寿弥 通明
小笠原保馬 正実
坂本龍馬 直陰
岡本恒之助 俊直
川原塚茂太郎 重幸
上田楠次 元永
弘瀬健太 年定
多田哲馬 則考
曽和伝左衛門 正直
島本審次郎 仲道
中岡光次 為鎮
島村寿之助 寿栄
吉井茂市 則行
望月清平 弥塩
土方楠左衛門 久元
小畑孫三郎 和
安岡実之丞 正方
島村寿太郎 雅董
吉本善吉 守成
高橋牛之助 介吉
鎌田菊馬 張楯
吉田省馬 篤明
山本三治 重時
石川喜久馬 義秀
依岡権吉 弘穀
宮田頼吉 貞亮
森脇唯次郎 重成
千屋寅之助 考訓
浜田清蔵 正敏
仲彦太郎 正幹
谷島次郎 恒誠
岩崎馬之助 維慊
檜垣清治 正路
村上保次 守行
藤本駿馬 正和
千頭嘉源次 重固
大利鼎吉 正義
宮崎勝蔵 保之
北代忠吉 恕
三瀬八次 峻明
村田忠三郎 克復
田所助次郎 愛敬
小畑五郎馬 敏行
池田卯三郎 義道
島地磯吉 義石
吉松恒吉 恒敬
野々村庄吉 利敬
沖野平吉 信篤
尾崎幸之進 直吉
田所荘之助 愛敬
志和寅之助 履
岡田啓吉 宜稔
小松熊市 楽盛
伊藤四十吉 弘長
土居左之助 金英
中島与市 光尹
安岡覚馬 正慎
山本四郎 義忠
山本兼馬 正義
田口文良 明正
岡野佐五郎 義正
伊藤甲之助 和義
田岡祐吾 正路
平石六五郎 雄
西山直次郎 盛城
小川平馬 善道
楠本文吉 安茂
岡崎山三郎 茂樹
上田官吉 正秋
中城益次郎 政信
石川潤次郎 正之
佐井松次郎 正民
板垣寛之助 高幸
島村源八 義路
中沢安馬 正和
南部展衛 忠成
千頭小太郎 久胤
宮川助五郎 長春
粟井兎之助 正穂
白石馬之助 盛忠
秋沢清吉 貞道
安岡権馬 正徳
矢野川龍右衛門 為雄
尾崎源八 忠治
浜田良作 秋登
田内衛吉 茂稔
深瀬哲馬 和直
吉永良吉 正則
三宅謙四郎 幹正
田中作吾 茂芸
村田右馬太郎 有尚
村田角吾 貞宜
公文藤三 景高
武政左喜馬 定敬
中村恵三郎 義直
中平菊馬 定純
長尾省吾 直行
観音寺 智隆
山崎喜蔵 正良
千屋菊次郎 考健
今橋権助 重秦
千屋金策 考成
谷脇清馬 修彜
高橋俊助 重利
片岡左太郎 正雄
海路十寸吉 安行
戸梶直四郎 秦敬
竹村猪之助 敬義
山崎広馬 正義
片岡盛蔵 実純
北添佶馬 正信
江口参太 定長
中村左右馬 政茂
片岡団四郎 好直
中平喜之助 忠治
中平大治 忠表
市川長三郎 祐成
今橋武之助 重昌
西田可蔵 共治
近藤亀弥 為美
宮田節斎 秀貫
和食牛馬 龍虎
安岡斧太郎 直行
上田蜂馬 元春
川久保健次 成清
井原応輔 徳道
浜田辰弥 光正
岩神主一郎 正路
鳥羽謙三郎 勝益
下方弥三郎 範為
中山刺撃 光儀
古沢迂郎 光迂
橋本鉄猪 有蔵
土方左平 直行
那須盛馬 利和
掘見久庵 輔勝
清岡治之助 正道
阿部多司馬 正幸
小畑孫次郎 綽裕
久松喜代馬 重和
松山深蔵 正夫
田辺豪次郎 義温
高松太郎 清行
柏原禎吉 義勝
筒井米吉 清興
五十嵐幾之助 敬正
佐井寅次郎 忍石
川田貞七 正敏
堀内賢之助 直正
山本喜三之助 重考
平井収二郎 志敏
森助太郎 為政
森田金三郎 維種
中平保太郎 定晴
三原兎弥太 正亮
岡本八之助 忠保
上田宗児 則正
坂本栄十郎 忠光
浪越肇 宗義
服部東蔵 雅世
川田乙四郎 義徳
吉本平之助 祐雄
楠瀬六衛 直樹
都賀田文八 茂穂
安岡覚之助 正実
上岡胆治 武雄
弘光明之助 利条
田所駒吉 元道
岡甫助 澄明
島村左伝次 雅文
西山平馬 秀幸
池知退蔵 重胤
安東真之助 好成
島村外内 重正
岡本猪之助 正利
安岡金馬 忠綱
足達行蔵 貞正
細木核太郎 栄敦
楠目民五郎 正幹
一瀬源兵衛 正藩
岡本滝馬 元貞
森下幾馬 茂晴
宮地宜蔵 正覚
山田三蔵 房清
庄村良達 正房
西村広蔵 治家

(加盟者名簿は文久3年に山内容堂へ提出されている為、吉田東洋暗殺の実行犯である那須信吾・安岡嘉助・大石団蔵の他に吉村寅太郎・池内蔵太・岡田以蔵・中島作太郎らの名前が何らかの理由で削除されています)


以後、武市半平太は土佐藩参政・吉田東洋の暗殺、京都での公武合体派に対する天誅活動の指揮をとり、当時の時流である尊王活動へ土佐藩を導いていきます。
本来、公武合体論の山内容堂は他藩への評判がよい武市半平太を表向きには重用していました。
文久3年、勤王党員の間崎哲馬・平井収二郎らが極秘裏に藩政改革を行い藩論を勤王へ変更させようとした事件(青蓮院宮事件)に端を発し、八・一八の政変で公武合体派が勢力を回復した結果、勤王党に対する弾圧が始まり、武市半平太は切腹、その他多くの党員は投獄され、勤王党は壊滅していきました。




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森半蔵
2008-04-26 Sat 16:42
森半蔵

生:文政9年(1826)
没:文久元年(1861)8月26日
水戸藩士
正五位

略歴

文政9年、森直元の3男として生まれる。

嘉永6年、浪人となる。

文久元年、東禅寺英国公使館を襲撃、捕吏に探知され常陸国本郷村にて自刃。36歳

墓所:茨城県水戸市松本町の常磐共有墓地




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前木新八郎墓
2008-04-26 Sat 16:35
前木新八郎墓

(常盤共有)前木新八郎墓


茨城県水戸市松本町の常磐共有墓地にあります。


大きな地図で見る




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前木新八郎
2008-04-26 Sat 16:27
前木新八郎

生:文政7年(1824)
没:文久元年(1861)8月26日
水戸藩士
正五位

略歴

文政7年、水戸藩士・前木正節の次男として生まれる。

安政6年、勅書返納の阻止に尽力する。

文久元年、東禅寺英国公使館を襲撃、捕吏に探知され常陸国本郷村にて自刃。38歳

墓所:茨城県水戸市松本町の常盤共有墓地




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荒尾成允
2008-04-25 Fri 19:03
荒尾成允

生:
没:文久元年(1861)8月25日
幕臣・小普請奉行

略歴

町奉行・荒尾成章の子として生まれる。

文政3年、小納戸に任命される。

文政12年、小姓に任命される。

嘉永4年、小姓頭取に任命される。

嘉永5年、目付に任命される。

嘉永6年、露国使節応接掛に任命される。

安政元年、長崎奉行に任命される。

安政2年8月、英国東インド艦隊司令長官・スターリングと日英和親条約批准書を交換する。

安政2年9月、日蘭和親条約の予備協定二十九条に仮調印する。

安政4年2月、「アロー号事件」の経緯を幕府に報告する。

安政4年8月、日蘭和親条約批准書を交換する。

安政4年9月、日露追加条約に調印する。

安政6年、小普請奉行に任命される。

万延元年、田安家の家老に任命される。

文久元年、死去。

墓所:東京都港区の東禅寺




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西尾忠受
2008-04-25 Fri 18:26
西尾忠受

生:文政4年(1821)
没:文久元年(1861)7月26日
第7代横須賀藩主
従五位下、式部少輔、隠岐守

略歴

文政4年、第4代姫路藩主・酒井忠実の3男として生まれる。

第6代横須賀藩主・西尾忠固の養子となる。

天保13年、従五位下、式部少輔に任命される。

天保14年、家督を継ぎ隠岐守に転任する。

弘化3年、奏者番に任命される。

文久元年、死去。41歳

墓所:静岡県掛川市西大渕の龍眠寺




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岩城隆政
2008-04-25 Fri 17:41
岩城隆政

生:天保13年(1842)7月12日
没:文久元年(1861)8月12日
第11代亀田藩主
従五位下、修理大夫

略歴

天保13年、第8代亀田藩主・岩城隆喜の6男として生まれる。

安政2年、家督を継ぐ。

安政3年、従五位下修理大夫に任命される。

文久元年、死去。19歳

墓所:東京都板橋区小豆沢の総泉寺




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榊原政愛
2008-04-25 Fri 17:22
榊原政愛

生:文化10年(1813)12月16日
没:文久元年(1861)8月12日
第5代高田藩主
従四位下、兵部大輔、式部大輔、侍従

略歴

文化10年、第3代高田藩主・榊原政令の5男として生まれる。

天保6年、兄・政養の養子となり従五位下兵部大輔に任命される。

天保10年、家督を継ぎ式部大輔と改める。

万延元年、侍従に任命される。

文久元年、死去。49歳

墓所:東京都江東区の霊巌寺




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文久元年(1861)8月
2008-04-25 Fri 17:04
おっす龍馬ぜよ。今年で27歳になるぜよ。
今日は文久元年8月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。

8月2日
外国奉行・野野山兼寛、目付・小笠原広業、勘定吟味役・立田正直等が江戸を発し対馬に向う。

8月2日
外国奉行・水野忠徳、鳥居忠善、目付・京極高朗が英国公使館書記官・マイビュルグと英国仮公使館「東禅寺」にて会し、御殿山公使館建築の細目を協議する。

8月3日
長州藩目付・長井雅楽が老中・安藤信行に謁し「航海遠略策」の趣旨を陳ず。

8月3日
長州藩目付・長井雅楽、手元役・周布政之助が水戸藩士・美濃部茂定と会し時事を議す。

8月6日
酒井忠寛が庄内藩主に襲封する。

8月6日
桜井忠興が尼崎藩主に襲封する。

8月6日
長崎奉行支配組頭・中台信太郎が黒瀬村に赴き、露艦長・ビリレフと会見する。

8月8日
浪士・清河八郎、処士・安積五郎が水戸より平潟・相馬を経て仙台に入り、密に仙台藩士・桜田敬佐、戸津宗之進と会す。

8月9日
水戸藩が東禅寺事変の残党及び浮浪の徒の捕縛を命じる。

8月10日
箱館奉行・村垣範正が露国領事・ゴスケウィッチを訪ね、重ねて露艦の対馬撤退を督促する。

8月11日
若年寄・諏訪忠誠を罷む。

8月11日
佐賀藩が大砲3門を幕府に献上する。

8月12日
第5代高田藩主・榊原政愛、死去。(49歳)

8月12日
第11代亀田藩主・岩城隆政、死去。(19歳)

8月15日
田原藩主・三宅康保、安中藩主・板倉勝殷、佐野藩主・堀田正頌、荻野山中藩主・大久保教義、多古藩主・久松勝行、牛久藩主・山口弘敞、吹上藩主・有馬氏郁が参府により、福岡藩世子・黒田慶賛、飯山藩主・本多助実、沼田藩主・土岐頼之、久留里藩主・黒田直和、壬生藩主・鳥居忠宝、岩槻藩主・大岡忠恕、大多喜藩主・大河内正和、鶴牧藩主・水野忠順、岡部藩主・安部信宝、伊勢崎藩主・酒井忠強、金沢武蔵藩主・米倉昌言、生実藩主・森川俊徳が就封により登営する。

8月16日
長州藩藩士・久坂玄瑞が同藩士・入江九一に書を送り、親子内親王降嫁を憤慨する。

8月16日
箱館奉行・村垣範正が駐在露・英・米三国領事と協定した居留地規則に調印する。

8月17日
露国艦隊司令官・リカチョフが軍艦「アメリカ号」に搭乗し箱館に入港する。

8月17日
浪士・清川八郎が再び仙台に至る。

8月18日
箱館奉行・村垣範正、目付・山口直毅が露国艦隊司令官・リカチョフ及び領事・ゴスケウィッチを訪ね露艦の対馬退去を要求する。

8月20日
加納藩主・永井尚典、府内藩主・大給近説、岩村田藩主・内藤正誠が奏者番に、徒頭・大久保忠一、奥右筆所詰・妻木多宮が目付に任命される。

8月23日
外国奉行・水野忠徳、竹本正雅、鳥居忠善が蘭国総領事・デ・ウィットと横浜に会し、御殿山公使館敷地に関し協議する。

8月24日
小性頭取・竹本正明が外国奉行に任命される。

8月25日
露艦隊がロシア外相・ゴルチャコフの命令で対馬から退却する。

8月25日
幕臣、小普請奉行・荒尾成允、死去。

8月25日
水戸藩士・山田熊之介、江戸水戸藩駒込邸にて幽死。(22歳)

8月26日
水戸藩士・前木新八郎、東禅寺英国公使館を襲撃、捕吏に探知され常陸国本郷村にて自刃。(38歳)

8月26日
水戸藩士・森半蔵、東禅寺英国公使館を襲撃、捕吏に探知され常陸国本郷村にて自刃。(36歳)

8月27日
外国奉行・水野忠徳、鳥居忠善が英国特派全権公使・オールコックを英国仮公使館「東禅寺」に訪ね、御殿山公使館建造費及地代の事を協議する。

8月27日
近藤勇の天然理心流剣術宗家四代目襲名披露の野試合が六所宮にて行われる。

8月27日
水戸藩士・森半蔵、東禅寺英国公使館を襲撃捕吏に探知され常陸国本郷村にて自刃を図るも果たせず捕縛され死す。 (36歳)

8月29日
長州藩目付・長井雅楽が江戸から帰藩し公武周旋の状況を復命する。

8月29日
榊原政敬が高田藩主に襲封する。

8月
土佐藩士・武市半平太らが江戸にて土佐勤王党を結成し、勤王奉公の事を盟約する。

8月
講武所砲術師範役・高嶋秋帆が演武の革新と砲隊の新設との急務を講武所に建言する。




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森五六郎
2008-04-24 Thu 16:51
森五六郎

生:天保9年(1838)
没:文久元年(1861)7月27日
水戸藩士
正五位

略歴

天保9年、森直元の5男として生まれる。

安政6年、勅書返納に反対し長岡に屯集する。

万延元年、桜田門外にて大老・井伊直弼を襲撃、後熊本藩邸に自首する。

文久元年、伝馬町獄舎にて斬首。24歳

墓所:茨城県水戸市松本町の常盤共有墓地
墓所:東京都荒川区の回向院




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井口事件
2008-04-21 Mon 19:39
井口事件

文久元年(1861)3月、高知城下の井口村にある永福寺門前にて上級藩士(上士)と下級藩士(郷士)による斬り合いから、藩を二分する事態へと発展した事件。

経緯

文久元年3月4日夜、上士・山田広衛が茶道方・益永繁斎を連れて永福寺門前を通過中、郷士・中平忠次郎とぶつかった。

『鬼山田』と呼ばれるほどの剣の達人である山田は当時酒に酔っており、中平はその場で切り倒された。
中平と共に歩いていた宇賀喜久馬は、中平の実兄の池田寅之進に事の次第を急報した。

知らせを聞いた池田は現場へ急行し、川に下りて水を飲んでいた山田を切り倒し、提灯を借りて戻ってきた益永をも倒した。

その後、上士は山田邸へ、郷士は池田邸へそれぞれ集結し、藩を二分した全面対決の事態へと発展していった。

この状況を憂慮した野市の郷士・大石弥太郎は池田と宇賀を切腹させることで事態の収拾を図り、全面対決の危険を回避させた。

池田邸に集結した郷士の中には坂本龍馬もいて、「勇士の魂の籠もる血は粗末にすべきでない」と切腹した池田の血潮に刀の白い下緒を浸して紅く染め、悠然として立ち去ったと言われています。

この事件により結束を高めた下士は、上士による藩政に反発を強め、土佐勤皇党結成の礎となりました。


一口メモ

宇賀喜久馬の切腹で介錯をしたのは実兄であり後に寺田家の養子となった寺田利正でした。
『天災は忘れた頃に来る』の言葉で有名な物理学者・寺田寅彦はこの寺田利正の長男です。




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森山繁之介
2008-04-15 Tue 15:07
森山繁之介

生:天保6年(1835)
没:文久元年(1861)7月26日
水戸藩属吏
正五位

略歴

天保6年、森山五六の子として生まれる。

安政6年、勅書返納に反対し長岡に屯集する。

万延元年、桜田門外にて大老・井伊直弼を襲撃、後熊本藩邸に自首する。

文久元年、伝馬町獄舎にて斬首。27歳

墓所:茨城兼水戸市松本町の祇園寺
墓所:東京都荒川区の回向院




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蓮田市五郎墓
2008-04-15 Tue 14:58
蓮田市五郎墓

蓮田市五郎墓


茨城県水戸市松本町の常盤共有墓地にあります。



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蓮田市五郎
2008-04-15 Tue 14:48
蓮田市五郎

生:天保4年(1833)
没:文久元年(1861)7月26日
水戸藩属吏
正五位

略歴

天保4年、蓮田宗道の子として生まれる。

安政6年、勅書返納の阻止に尽力する。

万延元年、桜田門外にて大老・井伊直弼を襲撃、後脇坂邸に自首する。

文久元年、伝馬町獄舎にて斬首。29歳

墓所:茨城県水戸市松本町の常盤共有墓地
墓所:東京都荒川区の回向院

一口メモ

さて私事、去月三日の朝、同志の者都合十八人申し合わせ、御大老井伊掃部殿と対面、御老中脇坂殿へ自訴に及び細川家へ御預けに相成り、同九日夜、本多修理之助殿御預りに相成り候。
かねがね御承知致され候通り井伊家者は天下の奸臣にして御家はゆめ仇敵なり、一昨年より御家臣安藤帯刀様、茅根先生を始めとして有名の人々無実の罪にて死罪にされ、或いは苦心の余り切腹仕り、或いは獄中にて狂死、或いは遠き島々へ流される者、皆相成りしも、全く井伊家の計略にて此度私儀討手の人数に加わり、本望を達し候段、先づ先づ国事成り致し方と御よろこび下さるべく候。
その場にての働きは随分人には劣りながら、負った手傷は右の肩弐寸内うで三寸二箇所、何れも今は平癒仕り候。何らか極まりし上は、近日仕置相成る事と存じ候。二十八ケ年の御鴻恩、家庭報い奉る段、先立つ不孝は如何様に存じ上げるも只今致し方無く、之恐れ入り候儀に申す迄も無く、何卒何卒御ゆるし下され願い上げ度く候。
宿出立の節、事の次第一言も申し上げず、お暇乞いも仕らず出立し、さぞ御立腹せられ候事と存じ奉り候。今更長々と申し上げては御悲歎の余りいかなる思し召しならせられるかと存じ上げ、うまく申し上げる事かなわずとも、その罪も御許し遊ばされ下さるべく候。
私身分の之成るは致し方無きに御座候、今日の内にも御刑に処されるやもしれず、大半磔に処される事と存じまする故、とても帰らぬ事とお思い遊ばされたく、御姉さまへよき婿を御取り遊ばし、私と思し召して御一生をお過ごし遊ばされ候。
外、之有る間敷と存じ奉り候と繰り返し考居しても人の一命は限り有るものと相見え申し候。
死すべき時に生き、生きるべき時に死するものとて、私など御先立ち申すも仏家に申さば前世の約束事にて、これ掛かるところ所謂天命と申すものと存じ奉り候。
さもなくして人間の一命が容易に捨てるものは無きに御座候。
私儀昨十月中大病相煩い候相果ては此度の一事に出る事能はず病死するより、天下の為死するなぞ本望なれば、却って御心を切り替へられ、且つ人間世界の常なきを御悟り遊ばし、このことは御諦めのほど、くれぐれも願い上げたく候。
(母宛 遺書)抜粋




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