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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
長崎紀行
2008-06-25 Wed 14:33
長崎紀行

長州藩士の吉田松陰が嘉永6年9月18日外国渡航を決意し長崎停泊中の露国軍艦を目当てとして江戸を出発し、10月27日に長崎に着くまでの単独行動の記録。

9/18江戸発-10/1京都-10/3大坂-10/16豊後-10/19熊本-10/27長崎着

長崎紀行
嘉永六年丑七月十七日申刻白帆四艘注進、明十八日暮入津、ヒートルブユルグ子十月出船
第一フレカッモ   主役ブーチャーチン
   長サ三十二間九合余 巾七間九合余 乗組四百二十六人 ヒートルブユルグ船
第二ストムボート  船頭コルサーコフ
   長十九間三合余 巾四間二合余 乗組三十八人
第三コルヘット   船頭ヲリウッサア
   長二十三間二合余 巾六間三合余 乗組百六十三人 カムシカット船
第四タランスポルトシキップ   船頭フウトルウルヘルム
     長十五間八合余 巾四間九合余 乗組二十八人
八月十九日上陸、元船幸崎ニ有、御検使健幸丸御連レ、大はと上り、西御役所え御呼出しニ相成り、惣人数四十五人上リ。ハツテーラ六艘。

嘉永癸丑九月十八日 晴。江戸を発し、将に西遊せんとす。是の行は深密の謀、遠大の略あり。象山師首これが慫慂を為し、友人義所・長取・圭木も亦これが賛成を為す。
其の他の深交旧友は一も識る者なし。朝、桶街の寓居を発し、象山師に過りて別れを告げ、品川駅に出づ。義所・長取追送す。圭木を待ちしも至らず。悵然たることこれを久しうし、決然袂を振つて去る。一詩あり、留めて象山師及び義所・長取・圭木に贈る。云はく。
 名利 世上に求むるに心無く、
 一生 人の尤を被るを顧みず。
 独り悲しむのみ 鴑駘 報恩の計、
 詭遇もて常に君夫の憂ひと為るを。
(後略)
(注)
象山師:佐久間象山
義所:儒者・鳥山新三郎
長取:肥後藩士・永鳥三平
圭木:長州藩士・桂小五郎


吉田松陰が江戸を出立する際、師である佐久間象山は旅費4両と送別の詩を贈りました。
なおこの詩は翌年3月の下田踏海事件の際にも所持していた為、象山も国許蟄居を命ぜられる原因にもなりました。

佐久間象山送別詩
 義卿を送る
之の子霊骨あり、久しく蹩躄の群を厭う。
衣を奮う万里の道、心事未だ人に語げず。
則ち未だ人に語げずとも雖も、忖度或は因るあり。
行くを送って郭門を出ずれば、弧鶴秋旻に横たわる。
環海何ぞ茫々たる、五州自ら隣を為す。
周流形勢を究めよ、一見は百聞に超ゆ。
智者は機に投ずるを貴び、帰来須らく辰に及ぶべし。
 非常の功を立てずんば、身後誰れか能く賓せん。
                  象山平大星


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