龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
皇女和宮降嫁
2008-10-02 Thu 19:12
皇女和宮降嫁

文久2年(1862)仁孝天皇の第8皇女・和宮親子内親王が公武合体の為に第14代征夷大将軍・徳川家茂と婚儀をおこなったこと。

経緯

嘉永4年、有栖川宮熾仁親王と婚約する。

安政6年、有栖川宮熾仁親王に入輿内定する。

万延元年4月、幕府が和宮降嫁を正式に奏請する。

万延元年5月、孝明天皇は和宮降嫁を拒否する。

万延元年6月、侍従・岩倉具視の『名を捨てて実を取る好機』との提言で公武一和と攘夷決行を条件にあげる。

万延元年8月6日、孝明天皇が和宮降嫁を決意する。

万延元年8月7日、和宮説得に橋本実麗が任じられる。


『御迷惑御困りの御様子、誠に恐れ入り候事共、筆頭に尽くし難し』
(橋本実麗日記)


万延元年8月14日、婚儀が成立しない場合、孝明天皇が譲位するとの噂に接し降嫁を承諾する。

万延元年8月15日、和宮が降嫁の条件として5ヶ条を願い出す。


一、明後年先帝十七回忌の御陵参拝を終えてから江戸に下向すること。また先帝御年回の度毎に天皇の御機嫌伺を兼ね御陵参拝のため上洛すること。 一、入輿後も和宮の身辺は万事御所の風儀を遵守すること。 一、江戸城内の生活になじむまで、御所の女官一名を御側附として拝借すること。また三仲間三名を随従させること。 一、御用の際には橋本実麗を江戸に下向させること。 一、御用の際には上臈あるいは年寄を使者として上洛させること。


万延元年8月18日、孝明天皇が降嫁勅許の内定と共に条件を提示する。


一、和宮の出した5ケ条を守る事
一、鎖国の回復は必ずする事
一、幕府が強要しての縁談ではなく、公武熟談の上で決まったということを天下に知らしめる事
一、外国との貿易で庶民が窮乏しているので撫育策をたてる事
一、降嫁後の和宮の待遇はその前に内奏する事
一、有栖川宮への措置を考える事



万延元年8月26日、有栖川宮熾仁親王からの入輿延期願いという形で婚約を解消する。

万延元年10月、孝明天皇の宸翰に対し返書を送る。


御書かしこまり拝見申し上げまいらせ候。弥御機嫌よく成らせられ、めで度ありがたくまいらせ候。左様候得ば此間は大すけ・長橋御使にて関東へ下向の事段々御断申し上げ候得共度々申し参り候に付、御上にもかれこれ御心配遊ばし戴き、御あつき思召さまの程段々伺ひ、誠に恐れ入りまいらせ候まゝ、天下泰平の為め、誠にいやいやの事、余儀なく御受け申し上げ候事におわしまし候。来年は関東にて年割悪きよし申し参り候まゝ私も同様気掛りの事ながら、准后さま御入内長の御年にてあらせられ候御吉例をもつて、此度仰せ立らられきりの思召のよし、何も承り辱(かたじけなが)り存じ候。 段々御あつき御挨拶ども伺ひ入り辱りまいらせ候。弥治定の上は願ひ度事ども御座候御事相成り候御事は御承知も遊ばし候よし、なを申し上げ候へばよろしく願ひまいらせ候。また下向いたし遠方とて御兄だいの御中御きりあそばされ候御事はあらせられず、御杖になり戴き参らせ候よし、御厚き思召さま深く辱りまいらせ候。猶よろしく願ひ置きまいらせ候。又御上より思召よりの御事仰せられ、且つ仰せ立てられ候事在らせられ候せつは、私より取計ひの事何も伺ひ置き候得共。これは御わけ柄により心得居り候事と存じまいらせ候。かしく。
 猶時候御用心あらせられ候様ぞんじ上げまいらせ候。めで度かしく。
                         かず上
    御請口上     誰ぞ申し給へ



万延元年10月9日、降嫁が正式に奏請される。

万延元年10月18日、降嫁の勅許が下る。

万延元年12月25日、納采の礼を執り行う。

文久元年1月18日、幕府が降嫁の祝賀として朝廷諸臣に黄金1万5千両を贈る。

文久元年10月3日、八坂神社にて首途の儀が執り行われる。

文久元年10月17日、桂宮邸を出発卯し中仙道を下り江戸へ向かう。

文久元年11月15日、江戸へ到着、九段の清水邸に入る。


今日より大分の城の風儀を致す、宮さま御輿も女陸尺御玄関へかき上げ候由、何事も大分むつかしく相成り候。(中略)今日より伺かた江戸の風儀に致し候やと花ぞの殿申され候へ共、何分京都の御風と仰せ出られ御座候御事故、矢はり京御風に伺はされ候由返答致し候
(宰相典侍庭田嗣子の日記より)


文久元年12月11日、清水邸を発し江戸城本丸へ入る。

文久2年2月11日、征夷大将軍・徳川家茂との婚儀が執り行われる。


一口メモ

姑にあたる天璋院との初対面では天璋院が上座で茵の上に座ったのに対して、和宮は茵の用意もない下座に座らせられるという屈辱的なものでした。


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