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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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(天誅)平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛
2010-03-04 Thu 23:06
(天誅)平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛

文久2年(1862)10月10日、勅使・大原重徳の東下の際、臨時雇いの下級武士として同行した平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛は道中の宿々で役人から賄賂に賄賂を求めたり、人足の給金の上前をはねるなど悪行を積み重ねた。
この行動に憤慨した土佐藩士・五十嵐幾之進、千屋寅之助、岡田以蔵、長州藩士・寺島忠三郎らが両人を捕え二条河原に生晒しにした。


一つ天誅を加えようと云う事になりまして、長州と土州の壮士が手分けをして、両方へ向かうことになりました。
私は千屋寅之助、岡田以蔵の三人と、長州からは寺島忠三郎、ほかに同藩士が二、三人とともに、御堂の近所に平野屋重三郎が潜伏しておる所へ参りました、大勢のものは外に張り番をしておる。・・・
七、八歳の女の子供がチョロチョロと出て参りまして、どうぞお父さんを御助け下さい、と紅葉のような手を合わせて泣きながら頼むと、さすがに鬼のような壮士も目に涙を持った。・・・
殺すも可愛そうだ、生き晒しにしようではないかと云うことになりました。・・・
河原の木綿を晒す柱へ縛り付け、握り飯を首に懸けて、ともに生き晒しに致しておきましたでござります。

(『天誅見聞談』)

              平野屋寿三郎
              煎餅屋半兵衛
この者ども、数度重き御方関東下向の御供内に加わり、上長者町通り烏丸西入る南側、桶屋市蔵と申し合い、宿々において無理非道に莫大の金銭を貪り取り、容易ならざる迷惑さしむる段、不届の至り、向後これらの始末相働き候者これあるおいては、誅伐加うべし。
こらしめのため、この者一日晒しの上、ゆるし遣わすもの也。

(『官武通紀』)


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