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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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文久事件
2010-03-05 Fri 22:05
文久事件

文久2年(1862)12月、赤穂藩国家老・森主税が藩政改革を訴える急進派の下級藩士により暗殺された事件。


赤穂藩家老・森続之丞が行っていた藩政改革が同家老・森主税らの反対にあい挫折し蟄居処分となりました。

代わって藩政の実権を握った森主税、参政・村上真輔は文久2年、藩政改革を訴える急進派の下級藩士・西川升吉ら十三人により赤穂城下にて暗殺されました。


一口メモ

藩政に返り咲いた森続之丞は暗殺を働いた下級藩士に対して御咎めもなく藩外へ逃亡させ、対する森家・村上家をお家断絶の処分としました。

明治4年、朝廷からの恩赦により村上家の再興が許されました。

そこで村上真輔の遺児・四郎ら一族は仇討ちの許可を藩に求めました。

時の家老暗殺事件を穏便に処理しようとした藩は、下級藩士らを高野山にある赤穂藩森家の墓守として送り、生命の安全を図ろうとしました。

その情報を知った村上四郎ら一族は彼らが入山する前に本懐を果すべく、紀伊国作水峠にて待ち伏せ、西川升吉の一党の八木源左衛門・山本隆也ら六人を襲撃し見事仇討ちを果しました。

これが日本最後の仇討ちとされる『高野の仇討ち』です。


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