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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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英国公使館焼き討ち事件
2010-03-08 Mon 19:19
英国公使館焼き討ち事件

文久2年(1862)12月12日、品川御殿山に建設中の英国公使館が長州藩士・高杉晋作ら13人により焼き討ちにあった事件。


背景

・朝廷からは攘夷の朝旨を受けながら、外国公使館の建築工事を継続する幕府の対応に憤慨。

・朝廷と外国の圧力で窮する幕府を窮地に追い込み攘夷へと導く。

・生麦事件で攘夷を実行した薩摩藩への対抗意識。


経緯

11月13日、長州藩士・高杉晋作らの外国公使暗殺計画が頓挫する。

11月末日、謹慎中の高杉晋作らが『御楯組』を結成する。

12月5日、将軍・徳川家茂が朝廷勅使に対し攘夷決行の奉答書を上る。

12月9日、大目付・竹本正雅、神奈川奉行・浅野氏祐が英国代理公使・ニールを訪ね、勅命により御殿山公使館用地の放棄を求めるが拒否される。

12月12日、高杉晋作・久坂玄瑞・志道聞多・有吉熊次郎・大和弥八郎・長嶺内蔵太・白井小助・赤禰武人・山尾庸三・寺島忠三郎・伊藤俊輔・堀真五郎・福原乙之進ら13名の長州藩士が御殿山に建設中の英国公使館を焼き打ちする。


幕吏は大抵吾々の仕業であると目星をつけたに相違ないが、証拠のないのと、幾らか長藩の勢力に遠慮したものと見え、深く追求せなんだから、同志中一人も之が為に処罰を受けたものはなかった
(『伊藤公全集』)


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