FC2ブログ
龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
勝義邦に入門
2010-03-09 Tue 21:07
おっす龍馬ぜよ。今年は文久2年、28歳になったぜよ。

12月9日、松平慶永侯から与えられた紹介状を持って、千葉重太郎さんと一緒に氷川の勝義邦を訪ねたぜよ。
この勝という男はかつて『咸臨丸』で亜米利加に渡った事のある開国派の大奸物じゃきに、話によっては斬るつもりじゃったぜよ。

殺気を感じたのか勝は
「俺を斬りにきたのかえ。まぁその前に俺の話を聞け。斬るのはそれからでもいいじゃねえか」
と言って亜米利加の文明、海軍の盛大なる姿、それに対抗するためにも我が国の海軍の必要性を熱く語ってきたぜよ。

話を聞いている内にその昔土佐で河田小龍先生から
「攘夷など出きるもんか。それより軍艦を一艘買って物品や人を運んで航海術を学びながら金を蓄え、さらに軍艦を買う。こうして海軍を充実させれば、おいそれと外国が攻めてくることもないだろう」
と聞いて感動した記憶が甦ってきたぜよ。

わしが求めていたのはこの勝先生のようなお人じゃ。
その場で弟子にして下さいと頼んだら快く引き受けてくれたぜよ。

あぁなんてすばらしい一日じゃ。


九日此夜、有志、両三輩来訪。形勢の議論あり。
(『海舟日記』)


坂本氏、會て剣客千葉周太郎と伴ひ、余を氷川の僑居に訪へり。
時に半夜、余、為に我邦海軍の興起せざる可らざる所以を談じ、娓々止まず。
氏、大に会する所あるが如く、余に語て曰、今宵の事、窃に期する所あり。
若し公の説如何に依りては敢て公を刺んと決したり。
今や公の説を聴き、大に余の固陋を恥づ。
請ふ、是よりして公の門下生と為らんと。
爾来、氏、意を海軍に致す。
寧日なし。

(明治23年勝海舟著『追賛一話』)


坂本は己を殺しに来た奴だがなかなか人物サ、(其時己は笑つて受けてたが)沈着いて何となく冒しがたい、威権があつて、能い男だつたよ。
(明治29年勝海舟著『春風閑話』のち『氷川清話』に収録)


カスタム検索




スポンサーサイト
別窓 | 龍馬のブログ | コメント:0 | トラックバック:0
<<文久3年(1863)1月 | 龍馬がブログ | 松平慶永に面会>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 龍馬がブログ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。