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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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文久3年(1863)2月
2010-04-06 Tue 19:56
おっす龍馬ぜよ。今年で29歳になるぜよ。
今日は文久3年2月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。


2月1日
暗殺された賀川肇の首級が将軍後見職・一橋慶喜の宿所・東本願寺門前に、両腕が千種有文、岩倉具視両家に投ぜられる。

2月1日
前土佐藩主・山内豊信が藩士・平井収二郎の他藩応接役を罷免、帰藩を命じる。

2月1日
土佐藩士・間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮尊融親王令旨の不遜の罪で捕縛され、土佐に送還される。

2月1日
土佐藩士・土方楠左衛門が帰藩命令に反し脱藩する。

2月1日
英国代理公使ニ―ル、生麦事件の賠償として幕府に10万ポンド、薩摩藩に2万5千ポンドの賠償金と犯人の処刑を要求する。

2月2日
鳥取藩士・松田市太夫、京都にて病死。(40歳)

2月4日
清河八郎主宰により江戸小石川伝通院の処静院大信寮にて、征夷大将軍・徳川家茂の上洛の警護を目的とした浪士組が結成される。

2月4日
浪士取扱・松平主税助が辞任する。

2月4日
政事総裁職・松平慶永が京都へ入り、高倉学寮を宿舎とする。

2月
政事総裁職・松平慶永が前土佐藩主・山内豊信を訪ね、坂本龍馬の脱藩罪赦免を要請、豊信は藩庁に赦免の手続きを命じる。

2月5日
軍艦奉行並・勝義邦が摂海警衛及び神戸海軍操練所運営を委任される。

2月5日
近藤長次郎・新宮馬之助・岡田以蔵・黒木小太郎らと鳥取藩士、岡田星之助の殺害計画を協議し、軍艦奉行並・勝義邦へ報告する。

2月5日
鳥取藩士・岡田星之助、尊攘志士から裏切りの疑いをかけられ暗殺される。

2月6日
浪士組一同が伝通院大信寮に会し、浪士取扱・鵜殿鳩翁より道中心得を申し渡され、組織編成が行われる。

2月6日
久留米藩士・真木和泉に上洛の命が下される。

2月6日
長州藩中老・長井雅楽、藩命により自邸にて切腹。(45歳)

2月6日
京都庄屋・惣助、親幕運動に協力した疑いにより暗殺され木屋町通蛸薬師下ルの土佐藩邸にて梟される。

2月7日
関白・鷹司輔熙が将軍後見職・一橋慶喜に使者を送り、攘夷期限のについての報告を求める。

2月7日
土佐藩士・中岡慎太郎が徒目付兼他藩応接密事掛に任命される。

2月8日
権大納言・正親町実徳、権中納言・三条西季知、参議・橋本実麗、大蔵卿・豊岡随資、左近衛権中将・滋野井実在、右近衛権中将・東園基敬、左近衛権少将・正親町公薫、右近衛権少将・姉小路公知、修理権大夫・壬生基修、侍従・四条隆謌、右馬頭・錦小路頼徳、主水正・沢宣嘉等が関白・鷹司輔熙、青蓮院門主入道・朝彦親王に書を呈し速やかに攘夷の国策を決せんことを建言する。

2月8日
浪士取締役・鵜殿長鋭、浪士取締役・山岡鉄太郎、松岡万らが浪士組を率いて征夷大将軍・徳川家茂警護の為伝通院を出立、大宮宿に至る。

2月8日
岡山藩主・池田慶政の養子・茂政が襲封する。

2月9日
将軍後見職・一橋慶喜、京都守護職・松平容保、前土佐藩主・山内豊信等が政事総裁職・松平慶永の館に会し攘夷実行を将軍帰府後に決せんことを関白・鷹司輔熙に奏上する。

2月9日
浪士組が鴻巣に至る。

2月10日
薩摩藩士・大久保一蔵が御側役兼御小納戸頭に任命される。

2月10日
浪士組道中先番宿割・近藤勇が六番組小頭・芹沢鴨らの宿手配を誤り、芹沢一派が本庄宿路上で大焚火を焚く。

2月10日
広島藩儒・星野文平、藩執政・辻将曹の上京に同行中伏見にて死去。

2月11日
長州藩士・久坂玄瑞、寺島忠三郎、肥後藩士・驫木武兵衛が関白・鷹司輔熙邸に詣り、攘夷期日の決定などを強請する。

2月11日
権大納言・正親町実徳、権中納言・三条西季知、参議・橋本実麗、大蔵卿・豊岡随資、左近衛権中将・滋野井実在、右近衛権中将・東園基敬、左近衛権少将・正親町公薫、右近衛権少将・姉小路公知、修理権大夫・壬生基修、侍従・中山忠光、四条隆謌、右馬頭・錦小路頼徳、主水正・沢宣嘉らが関白・鷹司輔熙に攘夷決行を迫る。

2月11日
関白・鷹司輔熙が急に参朝し天裁を請う。

2月11日
議奏・三条実美、阿野公誠、武家伝奏・野宮定功、正親町実徳・姉小路公知・橋本実麗・滋野井実在・豊岡随資らが勅を奉じて将軍後見職・一橋慶喜の旅館に至り、攘夷期限の確答を促す。

2月11日
将軍後見職・一橋慶喜、政事総裁職・松平慶永、京都守護職・松平容保、前土佐藩主・山内豊信ら急に参集し奉答書を上る。

2月11日
浪士組が松井田に至る。

2月12日
長州藩主・毛利慶親が京都から帰藩する。

2月12日
浪士組が追分に至る。

2月13日
朝廷、国事参政・国事寄人を設置し参議・橋本実麗、大蔵卿・豊岡随資、左近衛権少将・東久世通禧、右近衛権少将・姉小路公知を国事参政に、権大納言・正親町実徳、権中納言・三条西季知、左近衛権中将・滋野井実在、右近衛権中将・東園基敬、左近衛権少将・正親町公董、修理権大夫・壬生基修、侍従・中山忠光、四条隆謌、右馬頭・錦小路頼徳、主水正・沢宣嘉を国事寄人に任命する。

2月13日
征夷大将軍・徳川家茂が老中・水野忠精、板倉勝静、若年寄・稲葉正巳、田沼意尊、側用取次・坪内保之、松村武義、高田藩主・榊原政敬、小倉藩主・小笠原忠幹、松山藩主・久松勝成以下随員三千を従え江戸を出立する。

2月13日
浪士組が長久保に至る。

2月14日
前関白・九条尚忠に厳に謹慎を命じる。

2月14日
浪士組が下諏訪に至る。

2月14日
公家・伏原宣明没。(74歳)

2月15日
政事総裁職・松平慶永、京都守護職・松平容保、将軍後見職・一橋慶喜、前宇和島藩主・伊達宗城等が諸藩脱走士の不穏な挙動を憂い其の処分法を協議する。

2月15日
浪士組が奈良井に至る。

2月16日
政事総裁職・松平慶永、福岡藩主・黒田斉溥、米沢藩主・上杉斉憲、前土佐藩主・山内豊信、松江藩主・松平定安、島原藩主・松平忠和が参内する。

2月16日
浪士組が須原に至る。

2月17日
尊融法親王が中川宮の称号を賜る。

2月17日
浪士組が中津川に至る。

2月17日
浪士組の近藤勇が芹沢鴨の後任として三番組小頭に任命される。

2月18日
前尾張藩主・徳川慶勝、将軍後見職・一橋慶喜、政治総裁職・松平慶永、徳島藩主・蜂須賀斉裕、京都守護職・松平容保、津山藩主・松平慶倫、鳥取藩主・池田慶徳、徳島藩主世子・蜂須賀茂韶、福岡藩主・黒田斉溥、前宇和島藩主・伊達宗城、米沢藩主・上杉斉憲、前土佐藩主・山内豊信、熊本藩主・細川慶順、松江藩主・松平定安、萩藩世子・毛利定広、久保田藩主・佐竹義尭、広島藩主・浅野茂長、岡藩主・中川久昭、府中藩主・毛利元周、岡山藩支藩鴨方藩主・池田政詮、島原藩主・松平忠和らが参内し小御所にて謁を賜る。関白・鷹司輔熙が勅を奉じて攘夷の宸念を宣達し神宮警備、隠岐・対馬両島防衛を命じる。

2月18日
浪士組が伏見に至る。

2月19日
浪士組が加納に至る。芹沢鴨が取締役附に任命される。

2月20日
長州藩世子・毛利定広が関白・鷹司輔熙に謁し、加茂下上社行幸並びに泉涌寺皇陵親拝せんことを建白する。

2月20日
朝廷、学習院に至り時事を建議することを許す。

2月20日
浪士組が柏原に至る。

2月21日
将軍後見職・一橋慶喜、政事総裁職・松平慶永京都守護職・松平容保、前土佐藩主・山内豊信らが前関白・近衛忠熙邸に詣り関白・鷹司輔熙、鷹司輔熙、中川宮尊融親王等と会し大政委任か政権奉還かの二者択一を議す。

2月21日
征夷大将軍・徳川家茂が上洛の途中、駿府の久能山東照宮に参詣する。

2月21日
浪士組が佐武に至る。

2月22日
尊攘派志士が京都・等持院の足利尊氏・義詮・義満三代の木像を三条河原で梟首する。
足利三代将軍木像梟首事件

2月22日
浪士組が大津に至る。

2月23日
関白・鷹司輔熙、左大臣・一条忠香、右大臣・徳大寺公純以下議奏・武家伝奏を召し親兵設置等の関し諮問する。

2月23日 将軍後見職・一橋慶喜前土佐藩主・山内豊信、前宇和島藩主・伊達宗城らが政事総裁職・松平慶永の館に会して対英国の措置を建議する。

2月23日
浪士組が入京、壬生に入り新徳寺にて清河八郎が尊攘の大義を講ずる。
(浪士組入洛)

2月24日
清河八郎、学習院へ攘夷遂行の志願の上書を奉じて受理される。

2月24日
土佐藩士・吉村寅太郎が京都へ入る。

2月25日
千葉重太郎が福井藩士・村田巳三郎と坂本龍馬の脱藩罪赦免に関し相談する。

2月25日
京都土佐藩邸で7日間の謹慎処分を受け、脱藩罪が赦免される。
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2月26日
京都守護職・松平容保が足利尊氏等の木像を梟首した浪士・三輪田綱一郎等を捕縛する。

2月26日
将軍後見職・一橋慶喜、政事総裁職・松平慶永、前尾張藩主・徳川慶勝が連署して関白・鷹司輔熙に幕議が生麦事件に関する英国の要求拒否に決したことを告げ必戦の覚悟あるべきを陳じる。

2月26日
千葉重太郎が福井藩に坂本龍馬の脱藩罪赦免を報告する。

2月27日
将軍後見職・一橋慶喜、政事総裁職・松平慶永らが参内し、関白・鷹司輔熙、右大臣・二条斉敬、中川宮以下議伝両役・国事掛諸卿に会し、挙国必戦の覚悟を要する為在京諸侯の帰藩を請う。

2月27日
京都守護職・松平容保が浪人を攘夷の先鋒にとの旨を建白する。

2月27日
京都町奉行が激徒捕縛の趣旨を布告する。

2月27日
志士・高松平十郎、等持院の足利尊氏・義詮・義満の木像を晒首にした為幕吏に追われ闘死。(28歳)

2月27日
鳥取藩士・仙石佐多雄、等持院の足利尊氏・義詮・義満の木像を晒首にした為幕吏に追われ闘死。(22歳)

2月28日
浪士組三番小頭・近藤勇が六番組小頭に任命される。

2月29日
浪士組六番小頭・近藤勇らが御所を拝観する。

2月29日
清河八郎が浪士組士を新徳寺に集合させ攘夷決行の為江戸への帰東を通知する。

2月30日
清河八郎が浪士組帰東の上書を学習院に提出する。

2月
土佐藩士・北添佶馬が脱藩する。


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