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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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脱藩罪赦免
2010-04-19 Mon 22:03
おっす龍馬ぜよ。今年は文久3年、29歳になったぜよ。

2月25日、勝先生の計らいにより、脱藩罪が許されたぜよ。
実は前後して千葉重太郎さんも福井藩に万一の時にはぜひ力添えをと依頼してくれていたぜよ。

しかし、藩邸の一室に七日間も閉じ込められて全く窮屈ぜよ。


同日、千葉十次郎来る。
村田巳三郎面会す。
千葉云、此節、坂本龍馬か深く国事を憂ひ尽力する所あるよしを容堂公聞及はれ、対面あるへしとの事なりし故、土邸へ行きしに、当夜ハ容堂公深更に及ひて帰館せられたれハとて御逢なく、其後、下人同様の待遇にて案外千万の事なりし由。
畢竟、坂本ハ武市半平太等とハ意見を異にする故、窃に妬情を懐き、武市等かしか計らひしものなるへきか。
若さる次第なれは、此上とても如何なる事に運ふへきや測りかたけれハ、事により御扶助を願ふ事もあるへけれハ、心得置給はりたし云々なり。

(『続再夢紀事』)


容堂遂に藩邸留守居役に内命を下し、同二十日新に上京せる島村寿之助、望月清平をして、坂本を京師に呼び来らしめ、自首の体になし、三日間謹慎せしめ、同二十五日に至り、左の藩命下れり。
 右之者、去る戌の三月御国元を立ち、京摂竝に九州、関東辺、諸所周旋罷在、今二月十二日、御屋敷へ立帰候段、方今の形勢に付、忠憤憂国の至情より難黙止、件之次第とは乍申、御関所越の儀、御作法も有之処、窃に令逃逸、長々罷在事不心得之至、依右屹度被仰付筈之処、御含之筋有之、御叱之上、無別儀仰付之。

(『維新土佐勤王史』)


翌廿六日、千葉再ひ来りて、昨日御内談に及ひし次第ありけれと、同日夕方、土藩に於て龍馬の前罪を免されたれハ、御安心あるへし云々申聞たりき。
(『続再夢紀事』)


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