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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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(天誅)惣助
2010-04-19 Mon 22:55
(天誅)惣助

文久3年2月6日、京都庄屋・惣助、親幕運動に協力した疑いにより暗殺され木屋町通蛸薬師下ルの土佐藩邸にて梟される。

当時、公武合体に尽力していた土佐藩に対し、倒幕派が圧力をかけて政策転換を迫ったものと思われます。


二月六日夜、城州葛野郡唐橋村百姓惣助方へ、見知らぬ帯刀人十四、五人ばかり罷り越し、惣助を召し連れ、同人居宅続き畑地へ連れ出し殺害し、首を携え退き候。

昨夜、何者の所行にもこれあるや、首級風呂敷に包み、封状相添え、当屋敷より懸け渡りこれあり候高瀬川橋上に差し置きこれあり候。

(『維新階梯雑誌』)


                    唐橋村 惣助
この者は年来、千種家へ出入り致し、奸謀相働き候ものに御坐候に付き、今般、攘夷勅諚仰せ出され候て、大樹公御上洛に付いては太平遊情の弊一洗し、皇国の武威を八蛮に輝し候儀、今日の機会にこれあるべく、老公様御上洛の御仕置きによっては、実もって神州安危に係わり候事容易ならず、速やかに攘夷人心の帰向定めて、多年宸襟悩め奉り候醜夷を一朝に御退治あらせられたく、天下万民の嘆願に候。
この首、軽き賊の者にて実検には不足に候えども、誅戮加え候て、まず血祭りの験に轅門備え奉り、宜しく御披露給うべく候。以上。

(『野分のあと』)


今朝、僕が門下へ首一つ献じこれあり候。
酒の肴にもならず、無益の殺生憐れむべし憐れむべし

(『維新土佐勤王史』より山内容堂から松平春嶽宛書状)


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