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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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活人剣
2010-05-11 Tue 22:39
おっす龍馬ぜよ。今年は文久3年、29歳になったぜよ。

3月7日、勝先生が大坂から京都に入ってくるのに最近の京都は天誅が横行してとても心配ぜよ。

そこで同郷の岡田以蔵さんを勝先生の従者として護衛してもらうようにしたぜよ。


勝麟太郎の従者として京師に上りしは、蓋し坂本の周旋なるべし
(『維新土佐勤王史』)


この以蔵さんは武市さんの手先として天誅を繰り返し、『人斬り以蔵』と呼ばれて恐れられていた人で、あとから聞いた話によると早速、勝先生を刺客から護ってくれたそうぜよ。


文久三年の三月に家茂公がご上洛なさるについて、そのころ京都は実に物騒で、いやしくも多少議論のある人はことごとくここへ集まっていたのだから、将軍もなかなか厳重に警戒しておられた。
このときおれも船でもって上京したけれど、宿屋がどこもかしこも詰まっているので、しかたなしにその夜は市中を歩いていたら、ちょうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ現われて、ものをもいわず切りつけた。
驚いておれは後ろへ避けたところが、おれの側にいた土州の岡田以蔵がにわかに長刀を引き抜いて、一人の壮士をまっ二つに斬った。
「弱虫どもが、何をするか」と一喝したので、あとの二人はその勢いに辟易して、どこともなく逃げていった。
おれもやっとのことで虎の口をのがれたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。
後日、おれは岡田に向かって、「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したら、「先生。それでもあのとき私がいなかったら、先生の首は既に飛んでしまっていましょう」といったが、これにはおれも一言もなかったよ。

(『氷川清話』)


今回の活躍こそが人を活かす『活人剣』と呼ぶべきぜよ。

でもこの話は勝先生のホラみたいぜよ。


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