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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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(天誅)正淳・光惇
2010-05-20 Thu 20:04
(天誅)正淳・光惇

文久3年(1863)3月18日、天皇調伏の修法を行っているされ三条大橋東詰にて尊攘派志士により暗殺、西詰に梟される。


                           正惇 三十四歳
                           光惇 二十九歳
往日、三条川原おいて斬首致し候僧徒は、いわゆる破戒の僧徒にして、乱国の奸賊に党し、その指揮を受けて忠誠報国の義士を廃錮せんと欲し、種々の密謀奸計をめぐらし、また叡山の衆僧と合力同心、恐れ多くも御忌諱候事、その姓名は確証顕然としてこれ立つ。
しからば、すなわち神州の奸賊にて、天地神人容るばからざるもの也。
我々、慷慨奮発、天代って誅戮加え候。
余党早々改めずば、またこの奸僧ごとくのみ。
  文久三亥春三月十八日         天下義士


一、去る十八日、三条大橋より二町ほど下の河原に寺僧首級二ツ、一所にこれあり、若僧一人は首上の根より切りてこれあり候。
また、それより七、八間下に薄鼠色の衣服に白木綿の帯の厚きを前にてくくり、白足袋をはき、仰むけに倒れ、胴にくび付き、切りきず二ケ所、右のかたに切っ先のきずあり、草履もあり。
また、一人は五、六間も下にて黒つむぎ等の衣服に、めんはかたの帯、紺縮緬のもよう付きのすごきを〆め、これまた仰むけになり候。
組みおり申し候。
もっとも、手首に縄等にてくくり候跡あり。
帯に荒縄付きてあり、草り等もあり。
もっとも、胴の根より切りたると相見え申し候。

(『尊攘並街談混雑録』)


一方、たんなる物取りの仕業ともされています。

去つき、十八日、三条河原へ梟首され候僧は水戸神崎寺にて、戸田大夫申し付け金子借用の事にて登り候僧なり。
追々才覚もでき、二千金ほどは本国寺へ運び候ところにて殺され候也。

(『梅林癸亥日記』)


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