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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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文久3年(1863)4月
2011-05-31 Tue 20:04
おっす龍馬ぜよ。今年で29歳になるぜよ。
今日は文久3年4月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。


4月1日
公卿・中山忠光が下関の豪商・白石正一郎宅邸に入る。

4月2日
征夷大将軍・徳川家茂が将軍後見職・一橋慶喜、京都守護職・松平容保、前尾張藩主・徳川慶勝等を従え参内する。

4月2日
将軍後見職・一橋慶喜が中川宮朝彦親王に書を送り石清水社行幸の中止を嘆願する。

4月2日
長州藩主・毛利敬親が領内に向け外国船掃討の意思を表明する。

4月2日
壬生浪士組の芹沢鴨、近藤勇が金策の為大坂へ向かい、鴻池善右衛門から金子を借用し隊服の費用にする。

4月2日
清河八郎による横浜居留地焼き討ち計画が幕府に露見する。

4月2日
江戸で大久保忠寛と面談する。
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4月3日
大久保忠寛から松平慶永宛ての書簡を携え、幕府運搬船『順動丸』に乗船し品川を出航、大坂へ向かう。

4月4日
土佐藩士・武市半平太が帰藩する。

4月5日
久留米藩士・真木和泉が藩主・有馬慶頼に謁し、藩士・水野丹後、木村三郎を登用して藩是を尊攘にすることを建言する。

4月6日
老中格、外国御用掛・小笠原長行が江戸へ至る。

4月6日
浪士組士・阿比留鋭三郎、京都壬生にて病死。

4月7日
老中・板倉勝静から浪士組取締役並出役・速見又四郎に清河八郎暗殺の密命が届く。

4月8日
幕府が英仏からの軍事援助の申し出を断る。

4月8日
長州藩士・高杉晋作が三田尻に至る。

4月9日
長州藩士・高杉晋作が萩に至る。

4月9日
幕府運搬船『順動丸』で大坂に到着する。

4月9日
新徴組士・口羽新吉、人心動乱の罪で新徴組隊士により暗殺され両国橋に梟される。(34歳)

4月10日
和歌山に滞在中の軍艦奉行並・勝義邦を訪ねる。

4月10日
浪人・神戸六郎、新徴組の名をかたり悪事をなしたとして新徴組隊士により暗殺され両国広小路にて梟される。(37歳)

4月11日
軍艦奉行並・勝義邦と面談し大久保忠寛からの親書を渡す。

4月11日
孝明天皇、石清水八幡宮に攘夷祈願の行幸をする。
征夷大将軍・徳川家茂は病気理由で不参加、代理の将軍後見職・一橋慶喜も攘夷の節刀拝領の前に病気理由に辞去する。
前関白・近衛忠熙、熾仁親王、武家伝奏・坊城俊克、野宮定功、議奏・飛鳥井雅典、同社に先着し、関白・鷹司輔熙、左大臣・一条忠香、内大臣・徳大寺公純、権大納言・近衛忠房、大炊御門家信、広幡忠礼、日野資宗、権中納言・冷泉為理、庭田重胤、参議・橋本実麗、六条有容、葉室長順、将軍後見職・一橋慶喜、老中・水野忠精、板倉勝静、広島藩世子・浅野茂勲、岡山藩主・池田茂政、対馬藩主・宗義達、萩藩世子・毛利定広、米沢藩主・上杉斉憲、高松藩主・松平頼聡、水戸藩主・徳川慶篤弟松平昭訓らが随従し、京都守護職・松平容保及び薩摩・萩・土佐・岡山等の諸藩が沿道警備にあたる。
石清水八幡宮行幸

4月11日
薩摩藩国父・島津久光が帰藩する。

4月12日
久留米藩士・真木和泉の弾劾により謹慎処分を受けた家老・有馬監物を支持する吉村武兵衛・本庄忠太ら4人が登城し、藩主に「和泉の非」を訴える。

4月13日
久留米藩が藩士・真木和泉、真木佐忠、真木菊四郎、、鶴田陶司、原道太、荒巻羊三郎、中垣健太郎、淵上謙三、吉武助左衛門、半田門吉、江頭種八、黒岩種吉、姉川英蔵、角照三郎、前田九一、下川根三郎、荘山舎人、宮崎槌太郎、山田辰三郎、早川与一郎、佐田素一郎、柴山文平、酒井伝次郎、山本実、加藤常吉、浅田節三郎、樋口胖四郎らを投獄する。
和泉捕り

4月13日
岡山藩主・池田茂政が幕府に退京帰藩を請う。

4月13日
庄内藩郷士・清河八郎、江戸麻布一之橋で幕府見廻組佐々木只三郎、速見又四郎、高久安次郎に暗殺される。(34歳)

4月13日
彦根藩士・大塚新蔵、長野主膳の門人につき捕えられ斬首される。

4月13日
彦根藩士・大塚六郎、長野主膳の門人につき捕えられ斬首される。

4月14日
幕府、浪士取扱・高橋政晃、取締役・山岡鉄舟、松岡万、窪田治部右衛門を罷免する。

4月16日
長州藩世子・毛利定広が参内し、藩主・敬親に代わり攘夷期限布告の嘆願書を提出する。

4月16日
長州藩世子・毛利定広が洛北曼珠院にて対馬府中藩主・宗義達、水戸藩家老・武田耕雲斎らと会見する。

4月16日
長州藩士・久坂玄瑞、吉田稔麿らが帰藩のため京都を出立する。

4月16日
大久保忠寛から松平慶永宛ての書簡を携え大坂を出立し福井へ向かう。
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4月17日
幕府、10万石以上の大名に交代で京都警備にあたるよう命じる。

4月17日
江戸へ戻った浪士組が隊名を『新徴組』と改め庄内藩主・酒井忠篤付属となる。

4月18日
征夷大将軍・徳川家茂が将軍後見職・一橋慶喜、老中・水野忠精、板倉勝静らを従えて参内し、摂海巡視の勅許を奏請する。

4月18日
長州藩主・毛利敬親が藩士・井上聞多、伊藤俊輔らに英国留学の許可を出す。

4月20日
征夷大将軍・徳川家茂が参内し、攘夷期限を5月10日とすることを朝廷に上奏する。

4月20日
長州藩世子・毛利定広が二条城で征夷大将軍・徳川家茂に拝謁し帰藩の暇乞いをする。

4月20日
長州藩主・毛利敬親、藩医・久坂玄瑞の藩医を罷免し蓄髪させ平士に加える。

4月21日
征夷大将軍・徳川家茂が摂海警備巡視の為、大坂城へ入る。

4月21日
壬生浪士組が征夷大将軍・徳川家茂の大阪下坂に従い八軒屋京屋を宿にする。

4月22日
将軍後見職・一橋慶喜が攘夷の勅諚を奉じて京都を発し江戸へ向う。

4月22日
常栄寺住職・祖溟西堂、長井雅楽の同志と目され常栄寺門前にて長州藩士・宮城彦助らに殺害される。

4月23日
幕府、全国に5月10日の夷狄掃攘を布告する。

4月23日
征夷大将軍・徳川家茂が幕府運搬船『順動丸』に乗船し大坂湾を視察、随行していた軍艦奉行並・勝義邦が海軍振興策を入説する。

4月23日
征夷大将軍・徳川家茂が軍艦奉行並・勝義邦に神戸海軍操練所の設立を許可する

4月23日
外国奉行・阿部正外が南町奉行に任命される。

4月23日
国事参政・姉小路公知が摂海警備の視察の為京都を出立する。

4月23日
前土佐藩主・山内豊信が大監察・小南五郎右衛門、家老・渡辺弥久馬、国家老・深尾鼎を土佐勤王党を支援したことにより解任する。

4月24日
幕府が軍艦奉行並・勝義邦に神戸海軍操練所の取建掛を命じる

4月24日
壬生浪士組士・家里次郎、大坂の常安橋会所にて切腹。

4月25日
軍艦奉行並・勝義邦が国事参政・姉小路公知を幕府運搬船『順動丸』に招き、摂海視察に案内する

4月26日
長州藩士・岡部富太郎、岡部繁之助、赤川雄三、石川幹之助、太田市之進、世良寿次郎、木梨助太郎、粟屋直次郎、幸坂太仲佐々木謙蔵、石川小五郎、斎藤新太郎、山県甲之進、天野清三郎、冷泉雅次郎、井上市之進、山田顕義、佐伯梅三郎、弘勝之助、周田半蔵、久坂玄瑞、瀧弥太郎、瀧鴻次郎、山県初之進、長野熊之丞、入江九一、山県有朋、馬浦甫仙、赤根武人、杉山初之進、中村芳之助、来島小六、元熊次郎、野村靖、岡千吉、岸十之丞、堀平三郎、堀弥四郎、吉田稔麿、山田虎之助、藤村栄熊、石川山平、徳山藩士・渡辺新三郎、高橋熊太郎、中野連、黒瀬一郎、安田喜助、武田真八郎、岡元太郎、尾崎寿五郎、梅村一郎らが攘夷決行が迫るを以って京都から山口へ向い藩庁から下関へ派遣される。

4月27日
前掛川藩主・太田資始が老中に任命される。

4月27日
軍艦奉行並・勝義邦が私塾での海軍教授を許される

4月28日
国事参政・姉小路公知が幕府運搬船『順動丸』に乗船し、和歌山加太浦を視察する。


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