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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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政権奉還論
2011-06-01 Wed 16:59
おっす龍馬ぜよ。今年は文久3年、29歳になったぜよ。

4月2日、勝先生の代わりに京都の情勢を報告する為、同志の沢村惣之丞と一緒に幕臣の大久保忠寛さんに面会したぜよ。
今回お目にかかるのは2回目ぜよ。

いろいろ話をしていたが、大久保さんがすごい事を言ったぜよ。
それは去年の10月20日に大久保さんが松平慶永さんと横井小楠さんに言った内容で

今後ハ何処までも攘夷ハ国家の為得策にあらさる旨を仰立られ、然る上、万一京都に於てお聞納れなく、矢張攘夷を断行すへき旨仰出されなハ、其節ハ断然、政権を朝廷に奉還せられ、徳川家ハ神祖の旧領、駿遠参の三州を請ひ受けて、一諸侯の列に降らるへし
(『逸事史補』)

つまり政権を朝廷に奉還するという内容ぜよ。
これには手を打って感銘したぜよ。


さらに大久保さんにお願いして、松平慶永さんと勝先生宛の親書を書いてもらったぜよ。

此度坂下龍馬に内々逢候処、同人は真の大丈夫と存、素懐も相話、此壱封も託候事に候。御一読可被下
(四月二日付松平慶永宛大久保忠寛書簡)

勝に従居候土州有志、過日五人拙宅に参候に付略承、只々嘆息極候得共、其来人中坂本龍馬、沢村惣之丞両人は大道可解人哉と見受、話中に被刺候覚悟にて懐相聞、公明正大の道は此外有之間敷と素意の趣話出候所、両人丈は手を打斗に解得に付、さらば早々上京の上何とか可尽力と託候処、及丈は尽死力見可申候間、春嶽様へも御一封と申聞候に付、兼て御存の事に候得共、尚愚論相認、当月三日龍馬出立に託上候。 尚決て御見捨無之様為国幾重にも希候。 龍馬は御国許迄も罷出、是非正大の所を位御出勤相進め可申上と申居候
(四月六日付横井小楠宛大久保一翁書簡)


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