FC2ブログ
龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
石清水八幡宮行幸
2011-06-01 Wed 22:19
石清水八幡宮行幸

文久3年4月11日、孝明天皇が攘夷祈願の為、石清水八幡宮に行幸をする。

前関白・近衛忠熙、熾仁親王、武家伝奏・坊城俊克、野宮定功、議奏・飛鳥井雅典、同社に先着し、関白・鷹司輔熙、左大臣・一条忠香、内大臣・徳大寺公純、権大納言・近衛忠房、大炊御門家信、広幡忠礼、日野資宗、権中納言・冷泉為理、庭田重胤、参議・橋本実麗、六条有容、葉室長順、将軍後見職・一橋慶喜、老中・水野忠精、板倉勝静、広島藩世子・浅野茂勲、岡山藩主・池田茂政、対馬藩主・宗義達、萩藩世子・毛利定広、米沢藩主・上杉斉憲、高松藩主・松平頼聡、水戸藩主・徳川慶篤弟松平昭訓らが随従し、京都守護職・松平容保及び薩摩・萩・土佐・岡山等の諸藩が沿道警備にあたる。

行列の総数は5,978人に及んだ。

当初は4月4日に計画されていたが、先月出奔した過激派の侍従・中山忠光を中心とした長州藩過激派により、行幸の途中で天皇を奪い、将軍を襲撃し天下に号令をかけようとしているとの風聞が広がっていた為延期され、また将軍・徳川家茂も急病を理由として随行を辞去している。

また神前にて将軍への攘夷の節刀を授与する予定であったが、名代として随行していた一橋慶喜までもが急病を理由に退去した為行われなかった。


カスタム検索




スポンサーサイト
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0
<<和泉捕り | 龍馬がブログ | 政権奉還論>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 龍馬がブログ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。