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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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神戸海軍操練所の設立を許可
2011-06-10 Fri 18:26
文久3年4月23日、征夷大将軍・徳川家茂が軍艦奉行並・勝義邦に神戸海軍操練所の設立を許可する。


征夷大将軍・徳川家茂が大坂湾沿岸の防禦視察の為、軍艦奉行並・勝海舟の「順動丸」に乗船したところ、勝から「一大共有の海局」として日本国の海軍編成構想を説かれ、その重要性を即座に理解し神戸村に海軍操錬所の建設を許可しました。

一大共有の海局
兵庫・対馬・朝鮮・清国に海軍所を建設し、三国が連合して艦隊を創り対西欧諸国防衛体制を実現する構想。


払暁、御乗船船場堂島川へ出張。それより天保山へ到り、順動船に到る。 端舟にて同所へ御出迎え、御先きへ漕返す。
四ツ時ごろ、御本船順動へ
御乗船、即刻出帆。
船間悉く、御順覧、御満足の由、度々
上意これあり。当
将軍家、いまだ御若年といえども、真に英主の御風あり、
且、御勇気盛んなるに恐服す。九ツ時前、和田ヶ崎へ御着船。思召しをもって端舟にて同所へ御登岸、御供に候ずる者纔かに、五、六輩、臣、御後にあり、方向を示令す。
和田明神の社へ御休息、それより再び端舟に御駕、神戸へ成らせらる旨命あり。御供同断。
同所にて操錬局御開き、且、土着の者置くべき事を言上、直ちに英断り、
御前に於て仰せ出され、議悉く成る。
それより西の宮へ向き出帆。同所へ御上岸。また端舟を用いられ、西風少強、波を打込む。上、少しも動じ給わず。快活の旨度々上意。
夕刻、天保山沖へ御帰船。直ちに御登岸、御供にて登城。
深夜退出。

(『海舟日記』)


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