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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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姉小路公知の摂海視察
2011-06-10 Fri 19:41
文久3年4月25日、軍艦奉行並・勝義邦が国事参政・姉小路公知を幕府運搬船『順動丸』に招き、摂海視察に案内する。


二十五日
朝、姉小路、旅館に到り面会。
摂海警衛の事を問わる。
答えて云う、海軍にあらざれば本邦の警衛たちがたし云々。
長談、皆聞かる。
即刻、順動船に駕して兵庫港に到らるべき旨なり。
午後御乗船。直ちに出帆、従属百二十余人、船内、猶、前件の事を申す陪従の諸士と論弁す。大抵同意の旨なり

(『海舟日記』)

同二十五日、勝は公知に謁して海軍の急務なるを説くや、公知頗る耳を傾く
(『維新土佐勤王史』)

いよいよ摂海の防禦が最も必要だということになって、攘夷党の公卿で有名な姉小路公知卿が大坂へ来た。
当時攘夷党が勢いを振るったころとて、何でも姉小路から召されて、その旅館本願寺に行ったら、
「汝の意見を述べよ」ということであったから、おれは大いに論じた。
「全体台場を築くには莫大の費用がいるが、その出所はありますか」などと議論した。
すると姉小路も初めて種々の事情が分かった様子で、すこぶる閉口したよ。
そこでおれは、まず「私の汽船に乗って摂海を巡視なされ。その上で見込みを立てられよ」と勧めたところが、姉小路もさっそく承知して、順動丸に乗って一昼夜間、播磨、摂津の海岸を巡視した。
おれはまた、とうてい小さい台場では役に立たないから、むしろ海軍でもって国防の備えをするにしかずといったら、姉小路もいよいよ感服したよ。
そこで姉小路は、京都へ帰って朝廷へ説きつけたために、朝廷でおれの意見を容れるようになり、また将軍の方ももちろんおれの意見を採用した

(『氷川清話』)


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