FC2ブログ
龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
文久3年(1863)5月
2011-06-15 Wed 16:02
おっす龍馬ぜよ。今年で29歳になるぜよ。
今日は文久3年5月の歴史を振り返るきに。
ちなみに土佐弁は偽物じゃきに。


5月1日
京都守護職・松平容保が八幡・山崎を巡視する。

5月2日
国事参政・姉小路公知と共に京都へ至る。

5月3日
イギリス艦隊提督キューパー率いる軍艦2隻が江戸湾に進入する。

5月3日
土佐藩士・池内蔵太が江戸から帰藩の途中に大坂で脱藩し長州へ走る。

5月5日
久留米藩士・小河佐吉らが京都へ至り、長州藩士・清水清太郎、寺島忠三郎らに真木和泉釈放援助を依頼する。

5月5日
長州藩士・久坂玄瑞が率いる60余名が下関の光明寺に陣を敷き『光明寺党』を結成する。

5月6日
長州藩兵650人が萩を出立し下関へ向かう。

5月7日
越前藩士・中根雪江が藩命により京都へ入る。

5月8日
将軍後見職・一橋慶喜が神奈川に至る。

5月8日
久留米商人・深野孫兵衛、真木和泉を再投獄からの救出運動中に反対派により暗殺される。(33歳)

5月9日
老中格・小笠原長行、独断で生麦事件の賠償金44万ドルを支払う。

5月10日
長州藩、下関でアメリカ商船ペンブローク号に砲撃する。(~11日)
下関事件

5月10日
関白・鷹司輔熙、太宰師・有栖川宮熾仁親王以下諸臣を召し攘夷貫徹・延臣戒心の詔を賜う。

5月11日
征夷大将軍・徳川家茂が摂海巡察を終えて帰京する。

5月11日
壬生浪士組士が征夷大将軍・徳川家茂に従って帰京する。

5月11日
幕府が元勘定奉行・川路聖謨を外国奉行に任命する。

5月11日
元侍従・中山忠光が久留米藩士・真木和泉らの救解の為長州藩士・瀧弥太郎らを従え下関から久留米に至り、和泉らの釈放を勧告する。

5月11日
長州藩主・毛利敬親が藩士・周布政之助の罪を赦し政事堂出勤を命じる。

5月12日
長州藩士・伊藤俊輔、井上聞多、野村弥吉、遠藤謹助、山尾庸三ら五人が英船「チェルスウィック号」に乗船し英国留学に向け横浜から密出国をする。
密航留学生

5月12日
第8代宮川藩主・堀田正誠、死去。(40歳)

5月13日
福井藩士・中根雪江が前藩主・松平慶永の意を受け老中・板倉勝静に謁し、攘夷決行に関する意見を陳じる。

5月14日
将軍後見職・一橋慶喜が関白・鷹司輔熙、に書を送り、攘夷決行不可能を陳じ辞職を請う。

5月14日
老中・太田資始を罷む。

5月14日
長州藩士・山県九右衛門、杉山松助らが久留米に至り、久留米藩家老・有馬主膳に会し久留米藩士・真木和泉らの赦免の朝旨を伝達する。

5月15日
京都御所付近で出火、堂上に非常参内を命じる。

5月15日
津和野藩主・亀井茲監が老臣・多胡淡路を久留米に遣わし藩主・有馬慶頼に藩士・真木和泉らの赦免を勧告する。

5月16日
朝廷が土佐藩主・山内豊範に清和院門、水戸藩主・徳川慶篤に蛤門、薩摩藩主・島津茂久に乾門の非常警戒を命じる。

5月16日
軍艦奉行並・勝義邦の海軍塾設立資金援助を依頼する為福井の松平慶永のもとへ出立する。
龍馬のブログ

5月17日
久留米藩主・有馬慶頼が朝旨を奉じて藩士・真木和泉ら二十八人の幽囚を解く。

5月17日
坂本乙女宛書簡
龍馬の手紙

5月18日
征夷大将軍・徳川家茂が老中・水野忠精、板倉勝静らを従え参内し摂海巡視の顛末を奏上する。

5月18日
幕府がイギリス・フランス軍の横浜駐屯を認める。

5月19日
薩摩藩士・大久保次右衛門、死去。(70歳)

5月20日
老中・水野忠精、板倉勝静、京都守護職・松平容保等が参朝し関東の情勢を上陳し奸吏処罰・攘夷決行の為将軍の東帰を懇願する。

5月20日
儒者・家里新太郎、京都高倉通姉小路上ルにて尊攘派志士により暗殺される。(37歳)

5月20日
国事参政、左近衛権中将・姉小路公知、御所朔平門外巽の角(猿ヶ辻)にて尊攘派志士により暗殺される。(25歳)
朔平門外の変

5月23日
長州藩、下関で仏国軍艦「キャンシャン号」を砲撃する。

5月24日
老中・水野忠精、板倉勝静が参朝し、征夷大将軍・徳川家茂の東帰勅許の内旨を拝す。

5月24日
将軍後見職・一橋慶喜が関白・鷹司輔熙、に書を送り、幕議の実情と対外関係の情勢を陳じ重ねて辞職を請う。

5月24日
前土佐藩主・山内豊信が土佐勤皇党の解散を命じる。

5月25日
京都守護職・松平容保に姉小路公知暗殺の嫌疑により薩摩藩士・田中新兵衛、仁礼源之丞等の逮捕を命じる。

5月25日
老中格・小笠原長行、幕兵一千を率いて大坂に向かう。

5月25日
壬生浪士総員三十五人が連名で鎖港に関し上書を老中・板倉勝静、京都守護職・松平容保に提出する。

5月26日
長州藩が下関で蘭国軍艦「メジューサ号」を砲撃する。

5月26日
京都守護職・松平容保に姉小路公知暗殺の嫌疑により薩摩藩士・田中新兵衛、仁礼源之丞等を捕縛し西町奉行所に監禁する。

5月26日
福井藩が政治顧問・横井小楠立案の挙藩上洛を決定する。

5月26日
薩摩藩士・田中新兵衛、西町奉行所にて公卿・姉小路公知暗殺容疑の取調べ最中に自刃する。

5月27日
京都の福井藩邸で中根雪江と面談する。
龍馬のブログ

5月27日
会津藩御厩掛・立石林之助、勤皇派と通じているという嫌疑で壬生浪士の新見錦、平間重助らに殺害される。

5月29日
薩摩藩が姉小路公知暗殺事件の嫌疑を受け、乾門警備を解任され九門内への立ち入りを禁止される。

5月29日
洋式砲術家・中島名左衛門、外国船打払い主戦論者により暗殺。(47歳)

5月30日
京都守護職・松平容保が老中・水野忠精に書を送り征夷大将軍・徳川家茂の東帰の延期を請う。

5月30日
久留米藩士・真木和泉が上京の途中、山口に至り藩主・毛利敬親に謁す。

5月30日
老中格・小笠原長行軍が大坂に至る。

5月30日
軍艦奉行並・勝義邦に従って明石舞子に至る。


カスタム検索


スポンサーサイト
別窓 | 文久3年(1863) | コメント:0 | トラックバック:0
<<光明寺党 | 龍馬がブログ | 勝海舟が私塾での海軍教授を許される>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら


| 龍馬がブログ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。