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龍馬が生きていた時代にもしブログがあったら…。 激動の幕末を歴史の推移と共に紹介し、京都・萩・鹿児島・高知など今に残る史跡を紀行していく。
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下関事件
2011-06-16 Thu 19:52
下関事件

文久3年(1863)5月に長州藩が馬関海峡を航行する米仏蘭商船を砲撃した事件。

・5月10日、長州藩が下関で米国商船「ペンブローク号」に砲撃。
・5月23日、長州藩が下関で仏国軍艦「キャンシャン号」を砲撃。
・5月26日、長州藩が下関で蘭国軍艦「メジューサ号」を砲撃。


概要

攘夷期日を控えた長州藩は日本海と瀬戸内海を結ぶ馬関海峡に砲台を整備し、藩兵および浪士隊からなる兵1000人程、帆走軍艦「丙辰丸」「庚申丸」蒸気軍艦「壬戌丸」「癸亥丸」を配備して海峡封鎖の態勢を取った。


・5月10日、長州藩の見張りが田ノ浦沖に停泊するアメリカ商船「ペンブローク号」を発見。
久坂玄瑞ら強硬派が攻撃を総奉行・毛利元周に進言。
翌日午前2時頃、海岸砲台と「庚申丸」「癸亥丸」が砲撃を開始、「ペンブローク号」は周防灘へ逃走した。
外国船を打ち払ったことで長州藩の意気は大いに上がり、朝廷からもさっそく褒勅の沙汰があった。


・5月23日、長府藩の物見が横浜から長崎へ向かうフランスの通報艦「キャンシャン号」が長府沖に停泊しているのを発見。
長州藩はこれを待ち受け、「キャンシャン号」が海峡内に入ったところで各砲台から砲撃を加え、数発が命中して損傷を与えた。
「キャンシャン号」は交渉のために書記官を乗せたボートを下ろして陸へ向かわせたが、藩兵は銃撃を加え、書記官は負傷し、水兵4人が死亡した。
「キャンシャン号」は急ぎ海峡を通りぬけ、「庚申丸」「癸亥丸」がこれを追うが深追いはせず、「キャンシャン号」は損傷しつつも翌日長崎に到着した。


・5月26日、オランダ東洋艦隊所属の「メジューサ号」が長崎から横浜へ向かうべく海峡に入った。
オランダは他国と異なり鎖国時代から江戸幕府との長い友好関係があるので攻撃はされまいと油断していたところ、長州藩の砲台は構わず攻撃を開始し、「癸亥丸」が接近して砲戦となった。
「メジューサ号」は1時間ほど交戦したが死者4名、船体に大きな被害を受け周防灘へ逃走した。


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